2012年1月、「シェイクスピア劇場を見に行かないか」と誘われた。10年位前から、アイスクライマーたちが通いだした氷瀑群のことで、大峰山系の大普賢岳東壁の地獄谷上流部にあると言う。氷結する滝としては、同じ川上村内の「御船の滝」が有名だが、アプローチの難易度が全く異なる。「御船の滝」は、井光川に沿った村道を養魚場のある「いひかの里」まで車で行き、そこからアスファルト舗装の車道の上に積もった雪道を約1時間ほど歩けば到着する。一方、シェイクスピア氷瀑群は、10本以上の深爪アイゼンが必要な雪山で、片道2時間余りの行程のうち、後半1時間は雪壁と格闘することになる。
大台ケ原ドライブウェイ入口付近に駐車スペースを見つけ、登山準備。8時ちょうどに出発、カワガラスが2羽先導してくれる。出発してまもなく、林道の直進方向に大普賢岳が姿を現す。さらに進むと、今度は右手に伯母谷覗をはじめとする稜線も見えた。青空に雪山が映えいい日和である。この日、すでに先客がいたようで、ラッセルの必要がなく、これで迷うことはないと、わがリーダーは安堵していた。さすが吉野杉で名高い川上村、途中の人工林も手入れが行き届いている。(川上村在住のメンバーによれば、これでも手入れが足りないとか。)やがて、人工林を向けるとサワグルミなど落葉広葉樹の林となり、傾斜もきつくなる。もはやアイゼンの深い前爪なしでは歩数がはかどらない。途中、左手にも小さな氷柱群(アイス・ガーデン)が見られる。前方には、2本の氷瀑が遠くで牙をむいているが、どうやらそこが目的地のようだ。何カ所か雪の壁があり、残されたロープをたよりに一層アイゼンを蹴り込む。いつもとは違う筋肉痛が翌日に待っていそうだ。
息を切らしながら前方を見上げると、ついに氷瀑群がその巨大な姿を見せる。2時間半弱経っていただろうか。青く輝やいた無数の氷柱は、想像以上のスケールで牙をむき、シェイクスピアを観劇したことがなくとも、その名称に納得する。そして、それらの氷柱に、左右二本のアイスピッケルで取り付いていくアイスクライマーの姿もあるものだから、相対する驚きがあった。
このシェイクスピア氷瀑群には、4大悲劇のうち「マクベス」「リア王」「ハムレット」の3つの名前が、3本の氷柱に当てはめられている。シェイクスピアの4大悲劇を読んだことのない私は、それらの名の意味が解けず、浅はかな読書量がここに来て悔しい。ただ、眼の前にすごい迫力でせまってくる魔王のような氷瀑は、オペラ歌劇を観ているような感動がある。春になってこれらの氷柱の溶けるのが先か、それとも私がネーミングの解をすっきりと読み解くのが先だろうか。
先の登山からちょうど10年後の2022年、再訪する。大台ケ原ドライブウェイ入口付近の駐車スペースは、休日ということもあって、既に20台ほどが駐められ、さらに国道沿いにも駐車場所を求めている。10年前は、一桁の登山客で、知る人ぞ知る氷瀑だったのが、今や、人気のスタンダードコースとなりつつある。
今回は膝下ぐらいの積雪量で、難所の壁にはロープも張られていて随分助かった。もし、先行者もなく、ロープも張られていなければ、私の技術と体力では、単独行は無理である。特に下りが危険で、10本以上の深爪アイゼンは必携、また、あらためてロープワークの技術を習得し、万が一に備えたいと再確認した。多くの登山客は、登山アプリ等で事前情報を得ているのだろうが、中には、このコース、この積雪量にもかかわらず、チェーンスパイクで挑むグループがあるのはどうなんだろうと案ずる。
10年前のシェイクスピアとの出会いは、写真の中にその感動が残されているが、心を揺さぶる波動は消滅しつつあった。そして、この度、再訪してかの興奮が蘇る。例えば、御船の滝は、普段から水量があるものの、その水量を打ち負かすほどの気温低下によって氷瀑が生まれる。一方、シェイクスピアの方は、大雨でもなければ、普段は滴るような水量で、滴がポタポタポタと落ちてくるような岩礁である。小さな水滴が少しずつ凍りついて大きな氷柱(つらら)となり、それらが何十本、何百本と束なってできた氷瀑である。かき氷にして美味しいのは、後者だろうなあ。
そうそう、未だシェイクスピア四大悲劇ネーミングの謎は解けていない。 |