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                         くりんとのフィールドノート

           
   
 談山神社の四季
総社と神廟拝所の間にある「けまりの庭」で奉納される

 多武峰の談山神社は、大化改新談合の地の伝承とともに、長男で僧の定恵によって、鎌足の墓もこの地に改葬され祀られたのが始まりで、その後、講堂や十三重塔が造営され妙楽寺と号した。一方、701年には、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現・本殿)が建立され、聖霊院と号した。956年には比叡山延暦寺の末寺となったが、大和の地においては興福寺との抗争など戦乱に巻き込まれる。江戸幕府からは3,000石余の朱印領が認められるが、1869年(明治2年)、廃仏毀釈によって多くの子院とともに妙楽寺は廃され、聖霊院は談山神社と改称された。ただ、十三重塔をはじめ妙楽寺の寺院建築はそのまま用いられ、今なお神仏習合の境内である。本殿は幾度も造替されており、1668年に造替された時、前の本殿は移築され東殿(現・恋神社)となった。また、1734年に造替された時の旧本殿は惣社に移築されている。

【春】けまり祭
 飛鳥の法興寺(飛鳥寺)で蹴鞠会が行われた時、 中臣鎌子(のちの藤原鎌足)は中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができたと『日本書紀』に記されており、毎年、4月29日と11月3日(文化の日)に、京都の蹴鞠保存会(しゅうぎくほぞんかい)による蹴鞠奉納が行われる。
 11:00から「けまり祭本殿の儀(奉告祭)」が行われた後、11:30から蹴鞠の庭にて「けまり奉納」が行われる。まず、解鞠の儀(ときまりのぎ/神前から下げた松枝にはさんだ鞠を解く儀)が行われ、その後、一座8名で円陣を組み蹴鞠の実演奉納が行われる。鞠は鹿の皮製で、大麦をつめて球形にふくらませ、表面に膠を塗り、大麦を取り出して小穴を閉じたものである。私の足下に転がってきた鞠を拾い演者に戻したが、想像以上に軽かった。

 
鞠は鹿の革製   解鞠の儀(ときまりのぎ)

【夏】御破裂山
 談山神社は、紅葉の名所でもあるが、朱色の建物はカエデなどの新緑にもよく映える。けまりの庭から権殿の裏手を上っていくと、「御破裂山これより徒歩20分」と示した道標の立つ登山口にさしかかる。ここから先は、コウヤマキ、ミズキ、アサダ、アラカシ、アカガシといった常緑広葉樹の森にもぐりこむ。途中、二手に分かれるが、謀を談じたという「談い山」が右手にあり、そこではアカガシの木をたくさん見つけることができる。ちなみにアカガシは、奈良県内において標高600〜1000m付近に自生する常緑広葉樹で、奈良盆地においてはまず見かけることのない樹種である。
 取って返して先の分岐を反対方向に進むと、ほどなく御破裂山山頂(標高618m)である。ここには鎌足公の御墓があり、山頂そのものが墳墓の様相をなしている。こちらにもアカガシの大木が多いのだが、その中になんとブナの大木を見つけた。ブナといえば、紀伊山地においては標高1000〜1500m付近に自生する高山性の落葉樹で、600m余りしかないこの多武峰においてははたして自生種なのだろうか。見間違いかと足元の落ち葉を捜してみると、ブナの落葉どころかその殻斗もたくさん落ちている。この大木の幹周りを測ると2m40cm。
 このように標高と植生が釣り合わない例は、標高599mの高尾山(東京都)にも見られる。こちらには、ブナが90本ほどが確認されているらしく、イヌブナの自生も見られる。一説では、江戸時代半ば(1700〜1800年頃)は、世界的に寒冷だったことが証明されており、この「小氷河期」に、何かのきっかけでブナが芽生え、今日まで生きながらえていると考えられている。ここ御破裂山のブナは他に仲間もなく、誰かが植栽したものか、あるいは「元禄ブナ」なのか謎である。

イロハモミジを中心とした新緑の談山神社
 
御破裂山山頂のブナ(左)とアカガシ(右)   藤原鎌足の墓

【秋】紅葉
 談山神社の社叢は、極相林としては常緑広葉樹の森林であり、人の手が入らなければ、紅葉の名所にはならないはずである。境内に見られるイロハモミジは、時代を重ねて植栽されたものであろう。他種のカエデはないかと探してみたが、目につく高木のカエデはすべてイロハモミジであった。標高は高取城(583.9m)と近いため、紅葉シーズンも11月中旬〜下旬と同時期である。休日と重なれば、駐車場や道路の混雑は覚悟しておくべきだろう。
 紅葉の季節、拝殿に足を踏み入れると、華やかな神饌に目が奪われる。これらは「百味の御食」と言われ、明日香や多武峰で育てられた里芋、栗、ヤマ梨、ブドウ柿、ドングリ、カヤ、枝豆、コウジミカンなどを独特の様式で高盛りされたものである。1438年、南北朝の争乱に巻き込まれ、兵火を避けて御神体が一時、飛鳥の橘寺に遷座された。3年後にもとの多武峰に帰座するわけだが、御神体の帰座を喜んだ一山の人々が多武峰の秋の収穫物をととのえて供えたのが「嘉吉祭」の始まりとされ、現在は、毎年10月第2日曜日に斎行されている。

木造十三重塔としては世界唯一(国の重要文化財)
 
百味の御食   手前はコウジミカン、奥は銀杏だろうか

【冬】雪景色
 年末年始の賑わいが過ぎると、参拝客・観光客の姿はまばらとなる。休日といえど、参道の売店もほとんど店を閉じている。境内の落葉樹はすっかり葉を落とし、カメラのシャッターを切ってもモノクロ写真のような閑かさである。しかし、このモノクロの世界に彩りを添えるのが雪景色である。朱に塗られた建築物と雪の白さのコントラストに、空の青さが加われば和のトリコロール。一変に華やかとなる。「関西の日光」と呼ばれ避暑地として過ごしやすい多武峰だが、標高500mの談山神社境内にあって、積雪は寒波到来の時を待たねばならず、降っても屋根の積雪はいつまでも残らない。思い立ったが吉日である。

正面に権殿、右は神廟拝所(いずれも国の重要文化財)
 
門松もたてられ正月の装い   拝殿に並ぶ灯籠
 
 
   

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