Field Guide くりんとのフィールドノート
2019年3月2日
お水取りの代名詞「松明」を見る 「お水取りが終わらないと、奈良には本格的な春は来ない」と言われている。3月1日から2週間にわたって行われる東大寺二月堂の「修二会」のことだが、けっこうな人出だろうとこれまでわざわざ見学に行くほどの関心はなかった。ところが、ここ数年気に留めるようになり、その機会をうかがっていたところ、この度、知り合いに誘われて“初お水取り”となった。 二月堂の舞台を走る「松明」が夜空を焦がす光景こそお水取りの代名詞で、午後7時から14日間毎日執り行われている。我々は2日目の1時間前に到着したが、すでに多くの人だかり。しかし、この時間帯だと、まだなんとか舞台下の芝生広場に足場を得ることができる。ちなみにこの辺りは三脚及び一脚のカメラ撮影は禁止である。この松明は、「初夜」上堂のための「錬行衆」の足元を照らすためのもので、14日間のうち、12日目を除いては、10本の松明篝火を見ることができる。12日目だけは、ひときわ大きな籠松明が11本出るそうで、この日ばかりは2〜3万人の人出だそうであるから、心して向かわなければならない。 あたりが薄暗くなり二月堂をライトアップした灯りが消されると、いよいよ松明の出番。北の石段を上る練行衆の足元を照らし終えた松明は、それぞれ数分おきに舞台の欄干に突き出され、少しずつに異なった所作で舞台を北から南へと駆け抜ける。計20分ほどの松明パフォーマンスであったが、“初お水取り”を目にもカメラにもしっかり焼き付けたと、その余韻に浸りながら見学客が退散する流れに身を任せ二月堂を後にする。
礼堂内で「声明」に酔う ところが後日、「礼堂への参内が許されるので行かないか」と別の知人から誘いを受け、初夜以降の錬行衆の行法を間近で聴聞するというまたとない機会を得る。礼堂内へは特別の許可証を示して入堂するが、ちなみに女人禁制となっている。ただ、一般客も女性も、4つの「局」からは自由に聴聞できる。私たちが出向いた7日目は、「小観音出御・後入」の日にあたり、筒井別当以下長老の方々の内覧もあって、礼堂は混雑していた。厳粛な礼堂内ゆえ正装でと思ったが、防寒優先でよいという知人の案内だったので、冬山登山のような格好で参内した。 私が楽しみにしていたのは、錬行衆たちの「声明」。お経を独特の節回しで読むのだが、このスタイルの仏教音楽は、日本の音楽のルーツの一つでもある。どの錬行衆だろう、美しいバリトン・ヴォイスが礼堂内に響き渡る。元東大寺長老筒井寛秀氏は「豪快で、軽妙な美しい音楽リズムを持ち一つ一つが交響楽の一節」と、この声明を表現されたそうである。 礼堂の真ん中には、南北に長くて分厚い一枚板が横たわる。私が正座したすぐ脇から礼堂の真ん中あたりまで伸びており、その先は床から10pほど浮いている。やがて、声明の合間に、錬行衆の一人が内陣から現れ、正にプロレス技のニー・ドロップのようなものをその板に激しく浴びせる。堂内には「ダーンッ」という大きな音が響き渡る。薄い座布団のようなものが一枚敷かれているが、相手が分厚い板だけに、技をかけた側の膝に大きなダメージが残っているのではないかと心配になる。それも一回や二回ではなく何度も繰り返された。あとで知ったことだが、「五体投地」という。
私の知人は、「神名帳」を是非聴いて帰りたいということであった。日本全国522柱の神々の名前を「〜の大明神、〜の大明神」と読み上げる行法で、毎晩行われている。有名寺社だけでなく、自分の住まいの近くの氏神さんの名前もあるというので耳を澄ましたが、だんだんと読み上げるスピードが上がり、後半はよく聞き取れなかった。一方、5日目と12日目には「過去帳」の読み上げがあり、こちらは聖武天皇や源頼朝など歴史上の人物が目白押しだそうである。狭川宗玄長老は、「過去帳はベート―ヴェン、神名帳はモーツアルトの調べ」と表現されている。 礼堂での聴聞は、許可された者だけの特権だが、トイレ休憩や食事などために意外と自由に出入りできる。私たちも一度食事に出て、「走り」の始まる前に再入内した。この走り行法が始まる直前、堂童子によって戸帳が巻き上げられ、この時ばかりは内陣がよく見える。木靴で「カタカタカタ」とけたたましく音を立てながら内陣をまわる練行衆たちの中から、一人二人と礼堂に出てきては五体投地を行う。走り終わった後、聴聞者にも閼伽井屋から汲み上げられた香水がふるまわれるというので、私も両手でお椀を作りしっかり差し出した。施された香水はありがたく口に含んでみたが、体の悪いところにつけるといいと、後で知る。
「局」から聴聞する達陀 評論家の小林秀雄は「達陀」の行法に接して、一言「バッハだ」と言い放ったというが、そのバッハを是非今年のうちに聴聞したくなった。自分のスケジュールと照らし合わせながら、最終日の14日、今年3回目のお水取り見学である。今回は私一人なので、局から聴聞しようと午後10時頃に到着するが、達陀の日とあってけっこうな人出。順に四方の局の扉を開くが、すべて鮨詰め状態で立ち見客が入り口をふさいでいる。 二月堂北側の休憩所では、12〜14日の3日間だけ、うどんや巻き寿司などが販売され、とりわけうどんのだしは絶妙だという。この後の思案も兼ねて、きつねうどん(500円)にとりついたが、確かに干し椎茸のダシの効いた美味しいうどんである。行の終わる時間まで営業しているそうだ。 達陀のクライマックスは、火のついた松明が礼堂の床に投げ込まれる場面だという予習をしていたので、よく見える西の局に的を絞って、扉の内を覗きこむ。人の圧力におののいていてはここまで来た甲斐がないので、なんとか私の巨体を人垣に潜り込ませる。やがて暗闇に目もなじみ局内の様子が把握できるようになると、左隅に空間を見つけた。迷わずそこに足を延ばし収まる。達陀が始まる予定時間まで、あと1時間半余り。ここから先はトイレに立つこともままならないと覚悟を決める。
二月堂見取り図
場所を得た安堵感で局内を見渡す余裕ができると、なんと9割がた女性であるという事実に驚く。しかも、彼女たちの視線は格子の向こうの礼堂の、さらにその向こうの戸帳に映る錬行衆の影法師の姿をとらえて離さない。また彼女たちの耳は、低く豊かな美声を放つ声明を一滴ももらさんばかりと集中している。その眼差しは、いわば市川海老蔵をとらえる眼と同じではないか。 大仏開眼の752年より1263回、一年も途絶えることなく脈々と続けられてきた行法と知った上で、誤解を恐れずに言うと、二月堂の修二会一連の行法には、合唱や交響曲がありオペラがある。さらに、格闘技を連想させる激しさや汗があるかと思えば、狂言に通ずるユーモラスな演劇もある。ここ二月堂内陣の行法は、悔過作法という内向きな一面に対して、もう一方で見せるための作法として発達・展開してきたと言ってもいいのではないだろうか。したがって、四方の局に陣取る聴聞者は今でいうスタジアムの観衆であり、御贔屓の歌舞伎役者を追いかける追っかけファンともいえる。熱心な修二会聴聞者に、女性が圧倒的に多いのもそういう所以だろう。ただ、男の私も、その一人に加えてもらいたいのだが。(笑) 戸帳が巻き上げられた内陣では、達陀たいまつをかかえた火天役と達陀帽子をかぶり浄水を散らす洒水器をもった水天役の錬行衆が二人が掛け合う。リズミカルな法螺貝や錫杖の音に合わせて、火天の突きだす松明に水天がコミカルに飛び跳ねる様を演じては、内陣を一周しまた繰り返すという演舞だ。最後に、松明が礼堂の床に投げられ火の粉が飛び散ると終焉となる。バッハをよく知らない私には、結局、小林秀雄のいうバッハを共有できなかったが、この日も耳にした南無観ロックを口ずさみながら、午前1時二月堂を後にした。
付録:お水取り用語集 【修二会(しゅにえ)】 本尊に対して自らの悔過(罪の懺悔告白)を行うことで、奈良では法隆寺や薬師寺、長谷寺でも行われていますが、東大寺二月堂で行われるものが「お水取り」の名でとりわけ有名です。また、薬師寺の修二会は「花会式」の通称で知られています。修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事であったそうです。 【松明】 長さ約6mもある竹の軸に杉の葉をさして作ったもので、重さは60kgになるそうです。12日の籠松明はひと際大きく、長さ8m、重さ80kgといいます。火の粉を浴びれば無病息災、落ちた杉の葉の燃えさしを災難除けに持ち変える風習も盛んで競うように持ち帰っていきます。 【初夜】 日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝と1日6回の時が勤められ、これを「六時の行法」と呼びます。本尊の十一面観音に一年の罪をひたすら懺悔する悔過(けか)作法行います。また本尊を称美し、新たな一年の国家の安泰や、世界平和を祈るようです。 【錬行衆(れんぎょうしゅう)】 修二会に参籠する僧侶は全部で11人。役柄は、上から和上・大導師・咒師・堂司の四職と北座衆之一・南座衆之一・北座衆之二・南座衆之二・中灯・権処世界・処世界の平衆があり、その他三役や童子など身の回りの世話をする人々を含め総勢40人もが、宿所を中心に合宿生活を送ります。ちなみに、東大寺の僧侶は世襲制だそうで、養子として迎えられない限り、東大寺僧侶という就職先はありえません。したがって、跡を継いだ若い僧侶御たちが、修二会などの行を通して一人前の東大寺僧侶に育っていくものだと思われます。 【局(つぼね)】 内陣は錬行衆が行をするところで、正面の礼堂からも戸帳と呼ばれる白い布がかかっているので行の様子は見えません。外陣は内陣を取り囲む廊下のようなもので、局と外陣はしっかりとした格子戸で区切られています。東西南北それぞれの局からは内陣の様子を垣間見る程度ですが、錬行衆の声明や木靴の音はよく聞こえてきます。それぞれの行法見学に最適な好ポジションの局があるようで、通な聴聞者はそれを心得て陣取るようです。 【小観音出御・後入】 二月堂の本尊は秘仏の十一面観音で、大きい大観音と小さい小観音とがあります。いずれも絵でしかその姿を見ることはできませんが、修二会前半の7日間は大観音に、後半7日間は小観音に祈りを捧げ、その入れ代わりの儀式を出御・後入といいます。
【声明(しょうみょう)】 すでに、754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに声明を用いた法要が行われたという記録があります。なかでも、「南無観コーラス」とも呼ばれる声明の一節が有名です。悔過作法の一つとして正称の「南無観自在菩薩」を繰り返すうちに、「南無観自在、南無観自在」となり、やがて「南無観、南無観」と短くなくのですが、錬行衆の掛け合いとなってリズムが生まれ気分が高揚してきます。初め聴いた者にとっても、ずっと耳に残る声明です。 > 「南無観コーラス 」を聴く(mp3) 【五体投地(ごたいとうち)】 五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することですが、ここ修二会では「五体板」と呼ばれる長い板に、我が身を打ちつけ懺悔します。 【神名帳】 1番は「金峰の大菩薩」吉野の金峯山寺で、私のふるさと五條市の寺社では、276番に「荒木の大明神」、440番に「霊安寺の御霊」が読み上げられているそうです。 【過去帳】 なかでも有名なのが「青衣の女人」。鎌倉時代の練行衆が過去帳を読み上げていたところ、「どうしてわたしを読み落としたのか」と青い衣の女性が現れたため、あわてて「青衣の女人」と読み上げると、姿がかき消えたといいます。「当寺造営の大施主、将軍頼朝の右大将」と源頼朝を読み上げたらそこから18番目、その名はひときわ低く、ゆっくりと小さな声で呼ばれるそうで、そこを聞きたさにその日は多くの聴聞者が集まるそうです。 【大導師・咒師(しゅし)作法】 初夜と後夜では、悔過のほか、大導師と咒師の作法があります。大導師作法は世界平和や幸福を祈願。続く咒師作法は大導師の祈りを完全なものにするため、鈴を振り鳴らして四天王などに勧請します。 【走り】 『二月堂縁起絵巻』に基づくと、「天界の速い時間の流れに追いつくために走って法要を行う」という行法です。走りの後の香水授与は、礼堂に入れなくても、西の局にいて格子の隙間から片手を指しのばせば、運よくいただけるチャンスがあります 。 【達陀(だったん)】 松明の猛火で邪気を祓い福を招く儀式で、12〜14日の3日間行われる。国宝の二月堂内陣の中を、大きな松明が走り回り、最後は礼堂に松明が投げ出され、聴聞者を驚かせます。行が無事終わった15日の朝、実際の行中で使われた達陀帽を子供にかぶせてくれます。 > 「達陀」を聴く(mp3)
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