学生の頃、自然体験学習として「国立曽爾青少年自然の家」を利用した方もおられるのではないだろうか。そのプログラムの中では、たいがい登山が設定され、倶留尊山や亀山、古光山などに、息絶え絶えに登った思い出が、私にはある、10代の頃は、曽爾高原の自然の美しさに反応するよりも、都会の刺激が心地よいものだった。その後、プライベートで曽爾村に足を向けることはなく、「ススキの曽爾高原」という季節のニュースが耳に入ってきても、地味なススキの尾花のどこが美しいのだろうと、意に介さなかった。
それから数十年経ち、「銀色に輝くススキの曽爾高原」の新聞記事が目に飛び込んでくる。家族の意向に重い尻を上げ、牛にひかれて善光寺参り。いくら青空の3連休とはいえ、わざわざ曽爾村までススキを見に行く人もさほど多くないだろうと、お昼近く、曽爾川に架かる橋にさしかかるが、ここからまさかの大渋滞。橋から高原入口の駐車場まで普段なら5〜10分のところ、約1時間かかって到着した。そして、仏頂面の私を換気させる風景が、目の前に大パノラマとなって飛び込んできた。ススキの草原って、こんなにも美しかったんだ。
●ススキの見ごろ
さて、この見事なススキヶ原も3回変化するという。9月中旬から11月中旬までは、お亀池周辺を約200個の灯籠で遊歩道を照らす「山灯り」イベントが行われている。
○10月上旬〜10月中旬
ススキの穂がほどけはじめ綿毛が出てくるが、赤いススキの穂も混在している。また、お亀池などではウメバチソウなども咲いていて山野草も楽しめる。
○10月中旬〜11月上旬
ススキの穂が完全にほどけ、風がなびくと銀色の流れる穂波が美しい。
○11月上旬〜11月下旬
完全に葉も茎も枯れて一面が黄金色になる。写真でよく出るのはこの季節だが、末になると穂が飛び始めまばらになってくる。
●曽爾高原の成り立ち
ここは室生赤目青山国定公園。約1500万年前の大規模な火山活動によって、この地域は火砕流で埋め尽くされ、これらの火砕流堆積物が熱と重みによって溶結凝灰岩となるが、激しい火山爆発は何度も起こり、最大400mの厚さの層ができる。倶留尊山(くろそやま)は標高1038m。あと、国見山1016m、住塚山1009m、古光山953、亀山849m、鎧岩894m、兜岩920mなどと、いずれも標高1000m前後の峰々であり、当時の火砕流堆積物によってできた平原が概ねこの標高であったことがわかる。その後、この台地を流れる河川によって凝灰岩は侵食され、現在の曽爾川を中心とした深い谷ができた。ちなみに、曽爾高原のお亀池を火口と勘違いされる方も多いが、これは大規模な地滑りの跡で、崩壊してできた窪地に水が溜まったものである。この辺りは、溶結凝灰岩の下に、海が浸入していた時代の礫岩・砂岩・泥岩が分布しており、この堆積岩が地滑りを起こし馬蹄形滑落崖ができたと考えられている。
曽爾高原のススキは、かつて、曽爾村の萱葺き屋根の材料として長年使われてきたようだが、萱葺き屋根の減少や杉などの植林で高原消滅の危機もあった。しかし、この景観を残す為の保護政策がとられ、昔は採草地や萱場として、そして、今は観光地として、3月中旬の山焼きなど人の手が積極的に加わっている。現在は、ススキを主体とした草地の状態で遷移が止められているが、放置すれば森林に姿を変えていくだろう。
ところが、2010年に入ってから、ススキの生育不良という危機を迎えている。「ススキの背丈が低くなり、穂が出ない部分も増えてきた」というのだ。観光客らが草原に立ち入り、土を踏み荒らすのが一因ではないかと、侵入防止柵を設置したが、目立った効果はなかったようだ。2019年には、ススキの植え替えをおこなったり、小型ヘリによる施肥なども行ったようで、今後、継続して効果を見極めるようだ。 |