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                         くりんとのフィールドノート

           
   
 安土城跡

天守跡からみた琵琶湖(創建当時、安土城は琵琶湖の内湖に囲まれ、天然の要塞であった。)

 イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、その著書『日本史』において、安土城天主を次のように紹介している。

 中心には、彼らがテンシュと呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な怪人面が付けられている。


 1576年、織田信長は、岐阜城よりも京に近く、北陸・東海の要所にあって、琵琶湖の水運も利用できるこの地に、築城させた。その3年後には、わが国で最初の天守閣を持つ安土城が完成する。さらに、その3年後の1582年に本能寺の変が起こり信長は自刃、その混乱の中、十日余り後には天守が焼失する。
 GWの最中、混雑する彦根城を見学した後、この安土城に立ち寄った。国宝の天守閣に加え、ひこにゃんや 夢京橋キャッスルロードなど話題も多く集客力の高い彦根城とは対照的に、安土城は石垣しか残っていない。ただ、安土城周辺には考古博物館や城郭資料館など学術的施設も備わり、歴史愛好家には興味深い土地である。信長の性格そのものを具現化したような安土城だが、その実像も含め謎も多い。この古城跡に立って琵琶湖を望みながら、ルイス・フロイスの見た安土城を重ねてみると、彦根城では感じられなかった歴史の風が吹いてくる。

 

→大手門からの大手道は幅6m、長さ約180mも直線が続く。後の城郭は、敵の侵入を阻むため、細く迷路のように作られることを思えば、あまりに無防備である。

 

→大手道の石材には、石仏や墓石も多く使われているが、これは普請奉行丹羽長秀の方針か、それとも後に伝わる信長の性格の一端をうかがわせるものだろうか。

 

→穴太衆(滋賀県坂本村穴太の石工)は高い石垣施工技術をもち、安土城のほか彦根城なども手掛け、とりわけ野面積みは「穴太積み」とも呼ばれた。

 

→近隣には“信長の館”なる観光施設が建ち、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展品である原寸大の安土城天主が展示されている。

→五層七階(地上6階地下1階)にそびえた天守跡には、今も礎石が残る。
 
 
   

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