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                         くりんとのフィールドノート

           
   
 念仏寺陀々堂の鬼走り

青鬼(母面) 赤鬼 (父面) 茶鬼(子面)

大津の陀々堂へ参らんけえ 狐も狸もおれへんわ
もしかおったらあと戻り わぁーでたでた鬼がでた  (※ この地域のわらべ唄)

 国の重要無形民俗文化財にも指定されている五條市念仏寺「陀々堂の鬼走り」。 この法会は「修正会」といって、前年の罪を悔い身に積もった汚れを払い、新しい年の幸福を(国家安泰、五穀豊穣など)祈願するものである。期間は基本的に7日間であるが、最終日はその結願として追儺式や鬼追式などが行われることが多い。「陀々堂の鬼はしり」は、室町時代より500年以上も続いていると聞くが、今では、その修正会結願 の法会だけが残り、毎年、1月14日に行われる。こうした法会は、2月に行っている寺社も多く、その場合、「修二会」という。東大寺二月堂のお水取りや薬師寺の花会式、長谷寺のだだおしなどは修二会で、最終日に悪い鬼が登場しこれを法力で追い払って儀式を終える。「陀々堂の鬼走り 」でも、3匹の鬼が松明をもって現れるところがクライマックスであるが、ここでは阿弥陀如来に仕え災いを除き福をもたらす善い鬼とされているところが、他の寺社の鬼たちと大きく異なるところで、鬼面もとてもユニークで憎めないキャラクターである。
 現在の鬼面は、昭和36年に奉納された桧材一木作りのものを使用しているようだ。一方、長く伝わる旧面は桂材一木作りで、裏面には 「権大僧都、頼澄別当、文明十八年丙午(1486年)山陰住、右衛次郎」の墨書銘があり、この法会の歴史が推察できる。ちなみに、そのレプリカが、五條歴史博物館にも展示されている。

 鬼走りの行者たちは、参詣人で埋めつくされた境内の中央を、迎えの小タイマツを先頭にして入堂する。
 やがて鐘の音を合図に、僧たちの早口の読経と、カタン、カタンという硬く乾いた棒打の響き(俗に「阿弥陀さんの肩叩き」と呼ばれ、須弥壇裏の板壁を長さ約1mの樫の棒2本で叩く)、火天役
(かってやく)による「火伏せの行」が始まる。燃えさかるタイマツを肩にした火天は、ゆっくりしたスリ足で参詣人の前に姿を現す。そして、火祭りの安全を願って、中空に向かってタイマツを水の字に振る<※動画 ・前半部分>。火タイマツを天井高く差し上げては闇夜を引き裂かんばかりに振り下ろす火天の姿は、まさに不動明王の化身かとさえ映る。かわせ(水天役)は笹竹で桶から水を振り掛けては、火天が火傷するのを防ぎ、床に落ちた火を消して回る。火天の荒行が終わると、一瞬の静寂が流れ、いよいよ鬼の登場となる。
 ヒバ(ヒノキの生葉)をくすべた煙がもうもうと堂内に立ち込める。須弥壇裏の囲炉裏で発火寸前に暖められた大タイマツに、差配
(さはい)の「一番タイマツ点火」という緊張した声を合図に、行者たちは一斉に活動を始める。間合いを見計らって二番、そして三番タイマツにも火種が移される。
 一番タイマツが佐役
(すけ)の肩に のせられ、右手に斧を持った赤鬼 (父面)と共に正面北の戸口に走り出てくる。狂ったように吼える法螺貝、太鼓、棒打と、強烈な音響を背景に、今まで暗かった堂内が明々と照らし出され、鬼面が浮かび上がる。
 片腕、 片膝でタイマツを受け取った赤鬼は、一瞬、天空に向かって斧を構えて静止し、火の粉を振りまきながら正面中央戸口に歩を進める<※動画 ・後半部分>。後に、青鬼(母面)と二番タイマツが登場する。赤鬼が中央から更に歩を進め、正面南戸口で空をにらむ時、北の戸口には茶鬼(子面)が現れ3つのタイマツが並ぶ。堂内は火の海と化し、焔は生きものとなって天井をなめ、ひさしを這う。火祭りは最高潮に達したのだ。一番タイマツは、再び佐役の肩にのって須弥壇裏を回り右戸口に姿を現す。
 こうして3度、堂内を回った鬼は横戸口から境内に降り立ち、水天井戸に札参りをして行事は終わる。
 (※ 念仏寺発行パンフレットより抜粋)

 ○午後1時より、5人の僧による大般若経転読
 ○午後4時より、昼の鬼走り(無点火)/4時半、福餅まき
 ○午後7時より、息災護摩供(堂内)/7時半、柴灯護摩供(境内)
 ○午後9時より、鬼走り(タイマツ点火)

 
     
 
     
 
     
 
 
   

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