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                         くりんとのフィールドノート

           
   
 地福寺蓮華祭り

 役行者の命日(旧暦6月7日)に蓮の花を供花する儀式を蓮華祭などと称し、現在は新暦の7月7日に行っている寺院が多い。いずれも大護摩供が執り行われる一方、金峯山寺蔵王堂では蛙飛びの催し、金剛山転法輪寺では火渡り修行なども同日に行われ、参拝客の人気を呼んでいる。
 明治に入って1868年(明治元)発布の神仏分離令、さらには1872年(明治5)発布 の修験道廃止令などにより、修験道及びそれらの寺院は解体を余儀なくされる。その際、転法輪寺の本尊法起菩薩は金剛山麓にある 脇寺六坊の首座「行者坊」の地福寺(現・奈良県五條市久留野町)に移され、明治5年旧暦6月7日からは、早くもこの寺院で第1回蓮華大祭が行われている。
 それまで金剛山参りをしていた人たちも、ご本尊の移動によりこの地を訪れるようになり、かつてはたいへんな賑わいだったそうだ。この寺院に続く参道には露店も連なり、地元の小学校では半日授業の配慮もあったと聞く。しかし、戦後、金剛山転法輪寺でも蓮華大祭が復活し、醍醐寺三寶院門跡を迎えての葛城花供入峰修行が盛大に行われるようになった。また、近年、地元においても修験者等の後継者不足ということも影響してか、地福寺における蓮華祭りからかつての賑わいが消えてしまったかのようである。

 7月7日、午後1時頃から法螺貝の音と共に儀式が始まる。結界を示した正方形の縄の内側に護摩壇が組まれ、最初に厄払いだろうか四方に弓が射られる。足下に射られるので、縁起物としてその矢が参拝客によって持ち帰られるようだが、破魔矢のようなものだろうか。やがて、護摩壇に火が移されると、檜の葉から真っ白な煙がもくもくと立ちこめる。炎が上り始めると、当寺の住職が護摩木を投げ入れる。護摩壇の両側には、参拝客がお供えした護摩木が山積みされ、やがて行者たちによって投げ込まれる。すべての護摩木がくべ終えられたところで、この日の蓮華祭は終了となる。
 本堂に安置されている現在の法起菩薩は、もはや転法輪寺から移されたものではなく、痛みの激しかった法起菩薩に替えて、その後、作りなおされたものだという。ただ、体内仏として由緒ある法起菩薩が残っているとか。本尊の右側には役行者と前鬼・後鬼の像も見られる。その前には、役行者のものと伝わる錫杖や法衣も祀られている。
 本堂の左手に続く庫裏には「行者坊」と刻まれた額が掲げられている。葛城山系山麓のこうした里に近いところにはかつての葛城修験に関わった寺が点在するが、こちらの地福寺 は、久留野町の真言宗系檀家寺としての役割と共に、地元の行者たちの活動拠点となる行者坊の役割を併せ持っていたようである。江戸時代まで、葛城修験のメッカであり霊山として賑わった金剛山だが 、五條側の山麓でもその当時を忍ぶ賑わいが、今なおその断片として受け継がれていることに喜びを感じた。

 
 
 
   

 
   

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