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                         くりんとのフィールドノート

           
   
 神福山大澤寺

『五條十八景』に「勢堂紅葉」と紹介された青竜ノ池

 今から約1300年前に、役行者がこの地を行場として草堂をむすんだのが瀬之堂(現大澤寺)の開基と伝わっている。その後、弘法大師が伽藍及び僧房を建立し、真言密教の大霊場及び金剛七坊の一つとして栄えたという。さらに、後醍醐天皇の勅願所に指定され、紀伊国の名手に田地25町歩を下賜されたと伝わり、室町時代には仁和寺の別格本山となって、全国に多くの末寺を抱えた。江戸時代初期には、紀州徳川家の祈願所となって繁栄し、『五條十八景』には「勢堂紅葉」として紹介されている。しかし、その後は荒廃し、明治以降無住職となる時期もあった。

【金剛山七坊】
 この寺院は、山号にもなっている神福山のたもとに位置し、その山頂には葛城二十八宿第十九番経塚がある。大澤寺の奥の院にあたる神福山の経塚には、青岸渡寺(熊野修験)、七宝滝寺(犬鳴山修験)、転法輪寺(葛城修験)、聖護院(本山派修験)などの修験者が訪れているが、大澤寺にも、青岸渡寺(熊野修験)一行が時折姿を見せるそうだ。また、この寺の裏手には、かつて三段の滝があって、昭和30年代までは滝行も行われていたらしいが、現在は、その滝も消滅しているという。高野山大先達による柴灯護摩法衣の厳修もかつて行われたようで、今は、護摩壇のみ境内に残る。このように、金剛山七坊の一つでもあるこの寺院は、葛城修験道の行場や宿坊としての役割を担い、大いに賑わった時期があったのではなかろうかと想像したい。

【琵琶ノ池(目洗い池)】
 「瀬の堂の薬師さん」の愛称でも親しまれているこの寺院は、江戸時代以降、「この池の水で目を洗うと眼病が治る」と信じられ、近畿各地から多くの人が訪れたそうである。現在は閉じられているが、2つの池のうち、向かって左が男性用、右が女性用となっている。実際にこの水の成分を調べてもらったらいくらかのホウ酸が含まれていたそうだ。昭和10年ごろまでは、目の治療のために長期滞在する人や、滝にうたれたりする人もいたそうで、今も当時の宿泊用の部屋が残っている。ただ最近では、目の手術の前の祈願や術後の御礼参りに形が変わってきたという。寺務所では、目を洗うためのお浄水を「御香水」としてペットボトルで授与していただける。
 境内には、水を司る大きな竜が住むという伝説の残る「青竜ノ池」がある。この池には、病気平癒を祈願して放たれた鯉や亀がいるが、流れ込む沢が1つもないのに水が枯れることないという不思議な池である。和泉層群の東端であり、中央構造線という一級の活断層がこの付近を走っているが、こうした地層の合間から霊験あらたかな水が湧き出ているのかもしれない。

【花会式】
 大澤寺では、釈迦の誕生(旧4月8日)にあわせて本尊の薬師如来をお祀りする法要を「花会式」と呼んでいる。昭和20年代までは、境内に店が並び、五條の町まで参拝客の列が絶えなかったというほどの賑わいを見せていたそうだ。しかし、最近では、5月5日の祝日に合わせて法要が営まれ、市内の真言宗の僧侶が集って大般若転読が行われる。その後、餅まきも行われ、この時ばかりは賑わいをみせるそうだ。
 大澤寺境内の西端から伸びる山道は、行者杉峠を経て大阪府の石見川集落に至る。この峠は奈良・大阪・和歌山3府県の接点にあたり、役行者を祀った祠がある。ここには、行者杉と呼ばれるスギの老木がそびえ立っている。5月5日には、石見川の人たちによって「行者杉祭」が行われており、役行者をお祀りしたあと、お弁当をもちこみ祝う趣向がひっそりと続けられている。かつては、五條側の人たちも参加していたと聞くが、大澤寺の花会式に合わせた行事だったのだろうか。

 
「花会式」の大般若転読   琵琶ノ池
 
行者杉祭   神福山(葛城二十八宿第十九番経塚)
 
 
   

 
   

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