クロークやバーコーナーまであって、出演者へのプレゼント等は
受付横で預けるシステムになっている。
ホールに入ると、中央にパイプオルガンが配置された舞台があり(写真上)、吹き抜けの高い天井にバルコニーが張り出して、大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっていた。
一座の平井君とともに、「正装で来てよかったなあ」と安堵する。
彼女にとってはいくつも踏んできたステージなのだが、こちらは勝手に、そそはないだろうかとハラハラしながら、無事演奏の終了を見届ける。
他の出演者については、パンフレットを参考にしながら舞台に耳・目をやり、精一杯、こうした音楽こうした世界を読み取ろうとするのだが、残念ながら鑑賞するという用意まではできていない。
官能的なイタリア語のフレーズが何度も頭の上をすり抜けていく。
ほぼ2曲ずつで歌い手が変わるため飽きが来ず、表情豊かな演奏家や迫力あるサビの部分には、さすがに私の目も心も反応する。
私たちがやっているロック系の音楽やいわゆる流行歌との違いはなんだろうか?
この疑問が、終始私の頭を離れない。
1度くらいのコンサートでもの言うのもおこがましいが、ご批判を恐れず何点か感じたところを。
○ ロックや流行歌のライブは、リズムを合わせたり一緒に歌ったりあとでカラオケをやったり「参加する」楽しさがある。
それに対して、オペラや歌曲のコンサートは「鑑賞する」楽しさを味わうもののようである。
○ 前者は巷にあふれている大衆的な音楽で、多くの人々にリズムや楽器のなじみが出来ているためすぐに参加できる。
一方、後者の音楽の場合、多くの日本人にその用意がなく、鑑賞に至るためには個々の勉強・努力が必要となってくる。
初めて、歌舞伎や能、文楽を鑑賞に行った時も似たような感想をもった。
残念ながら、今回の私にはそうした用意がなかった。
歌舞伎や文楽については、その後も足しげく通うまでに私自身高まったのだが、それは日本の伝統芸という興味にも後押しされてのものだった。
ジョン・レノンが文楽を初めて見たとき、言葉は解らぬとも、心で鑑賞し時おり涙を流したと聞く。
イタリア歌曲を鑑賞するにも、やはり理屈ではないのだろうか?
by くりんと
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