Life in the wood くりんとの森の生活
澱粉のしっかり溜まった根は、美しいミルク色
◆厳冬に葛を掘る 裏山は、夏になると葛の蔓でうめ尽くされる。シーズン中、何度か草刈り機を入れるが、結局のところ根を掘り起こさないと解決にならない。そこに手をつけるとなると、すっかり葉を落とした秋から冬。鶴嘴をふりかざして汗だくになることを考えると、厳冬期がよい。そんなことを繰り返し、年々、葛の勢力を追いやってきたが、その労力が味覚に変わらないものかと、私のふくらはぎほどの大きさのものを数本掘り起こし、庭に放り上げておいた。 ところがある日、その葛を見つけた父に、だめだしをくらう。私の掘った葛は、草刈りの行き届いた場所のものゆえ、夏の間、高いところには蔓を伸ばし葉を広げしっかりと光合成を行ってこなかった葛。したがって、根は太くても澱粉をほとんどためていないということだ。(父は、澱粉のほとんど溜まっていない芋を、鎌で割って見せた。)実は、葛粉作りの一番のポイントは、「掘り」にあるということが、後になってわかる。葛粉作りで失敗するケースは、たいがいここで粗悪の芋を掘っていることが多い。
◆吉野晒しの「吉野本葛」 以下に画像で示した工程は、「吉野晒(よしのさらし)」という奈良県吉野地方独自の水晒し製法で、この方法によって精製されたものを「吉野本葛」 あるいは「吉野葛」と呼んでいる。 そもそも、 植物の毒はいろいろあるけれど、アクのように大部分はアルカロイドの毒で、これは水溶性である。したがって、縄文の時代からクズやワラビをはじめ、テンナンショウの芋やヒガンバナの根、トチの実やどんぐりまで、水晒しの技術によって食料になり得た。熱帯地方では、加熱処理によるアク抜きが一般的らしいが、これだと一度に大量の処理ができない。加熱処理より一歩進んだ技術が水晒しによるアク抜きであって、この技術は中尾佐助氏の提唱する照葉樹林帯の共通文化として、はるか中国南部からブータンに至る地域にその起源を見ることができるらしい。 かつて、吉野という紀伊山地の山村にまでそうした水晒しの技術や焼畑農業が伝播した。しかし、稲作が伝わった平野部では早くに森の恵みから自立し、そうした文化を淘汰していったのに対し、紀伊山地の襞々では、少なくともこの戦前までは食料調達の一手段として 残ってきた。現在は、御所市や宇陀市など県内各地の食品会社がその伝統を一部受け継ぎ、「吉野葛」や「吉野本葛」という 地域ブランド(地域団体商標)を登録して、全国にその存在をアピールしている。 この地域団体商標の定義では、葛根から採取した澱粉100%のみを原料としたものを「本葛」、 葛根から採取のでんぷんを50%以上使用し、これにさつまいもの澱粉を混合したものを「葛」としている。 以下、父から教わった自家製の吉野産100%の「吉野本葛」づくりです。
◆咸臨丸に積み込まれた葛粉 いよいよ、100%天然「吉野本葛」の出来上がり。父によると、100%の葛粉は舌にのせた時の溶けていく感じが芋澱粉の混じったものと全然違うという。早速、葛湯 ・葛餅・葛饅頭の3通りの調理法で試みた。混じり物のない葛湯というのは、こんなに透明感のある味覚なのか。何杯も何杯も、喉越しよく通っていく。また、葛餅や葛饅頭のむちむちとた食感は、一度知ってしまうともう浮気はできないことだろう。 さて、元来「葛根湯」といって、風邪のひき始めなどに効能のある生薬としても重宝されてきた。幕末、初めてアメリカに渡った咸臨丸には、病人用に数十リットルの葛粉が積み込まれたと聞く。今回出来上がった純白の葛粉が、宝物に映ってきた。