Guitar Case 109

Guitar Case > 2019

令しき和やかな想い出『貧窮問答の歌』

 新元号「令和」の考案者として有力視されている日本文学研究者の中西進さんは、過去に、奈良県立万葉文化館の館長をされていた。 その頃、小中学生を対象に「中西進の万葉みらい塾」という活動もをさていて、平成17(2005)年1月に、大塔村立大塔中学校に来校された際、私もお目にかかった。 その時の授業では、以下の3首を用意され、みんなで何度も朗唱した後、楽しい解説を受けた。

寄物陳思
うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀 身に添ふ妹し思ひけらしも  (巻11-2637)作者不明

蝦を詠む
み吉野の岩本去らず鳴くかはづ うべも鳴きけり川をさやけみ (巻10-2161)作者不明

春雑歌
物皆は新たしきよしただしくも 人は古りにしよろしかるべし (巻10-1885)作者不明

1首目は、「大きなクシャミが出たので、あの娘が私に思いを寄せてるなあ」という恋の歌。
2首目は、「地元吉野にちなんだもので、清らかな川の流れに鳴く蛙」を詠んだ歌。
3首目は、「なんでも新品がいいが、人間だけは年寄りがいい」という人生訓。
 それまで、『万葉集』というものを背の高い書棚にのぞむ文学作品と思い込んでいた私だが、中西先生の授業によって、昨今の流行歌のような親しみやすさを覚え、一気にのめり込むようになった。

 実は、この時、もう一つ中西先生に接した思い出がある。 当時、山上憶良の『貧窮問答の歌』を現代語訳して、オリジナルのメロディを付けてみようという企画を温めていた私は、渾身の現代語訳を中西先生にご覧いただいた。 ご存じの方も多いと思うが、『貧窮問答の歌』は長歌(892)とその反歌である短歌(893)からなり、抗えぬ権力に対して庶民の窮状を説いたものである。

  私の現代語訳の歌詞は、長歌をA+C、B+Cという構成に分け、さらに短歌+Cを加えた。 中西先生は「短歌をここに持ってきたんだね」と少し驚いたように述べられ、あとは「『万葉集』におさめられた和歌はすべてフィクションなんだよ」と万葉集全般の話に移られた。 ご講評をいただいたというにはほど遠いやりとりだったが、私はなぜか自信を得て、その後この歌と共にステージに立っている。 この曲のレコーディングも行ってCDプレスをし、県立万葉文化博物館中西館長宛にお送りさせてもらったが、はたして先生にご拝聴いただいたかどうかはわからない。

 ただ、話はここでは終わらない。 同じ明日香村にある犬養万葉記念館主催の「第15回万葉の歌音楽祭」(2017年)に『貧窮問答の歌』で応募したところ、あすか風舞台での本戦に出場し「明日香賞」というご褒美をいただいた。 また、審査員の方からは「長歌表現を見事な詩で直訳されたことに審査委員一同絶賛いたしました」というお言葉もいただいた。
 「初春の令月にして 氣淑く風和ぐ」 季節は秋であったが、そんな面持ちの2017年を思い返す。

貧窮問答の歌(びんぐもんだふのうた)  現代語訳:くりんと

風まじり 雨降る夜は 雨まじり 雪降る夜は
すべもなく 寒くあれば 塩つまみ 糟湯酒すする
咳ばらい 鼻びしびしと さしてあらぬ 髭かき撫でて
我ほどの 人はおらじと 誇れど寒さに 麻衾引きよせる
友よこんな世に 父母は飢えてはないか 
友よこんな夜に 妻や子は泣いてはないか

天地は広しといへど 我には狭くなったか 
日月はあかしと言へど 我には照ってはくれぬか
人皆か我のみか 友よいかに世を渡る

人として この世に生まれ 人として 働けど
綿もなき ぼろぎれのよな 布肩衣一重に うちふるえる
かたむき つぶれかけた  庵の土間に わらを解き敷き 
父母は 我が枕の方に   妻子は 足の方に囲みて憂う
かまどは飯炊くこと忘れ  甑に蜘蛛の巣かかり 
里長が声はむちとともに  寝屋処まで飛び込んでくる

天地は広しといへど 我には狭くなったか 
日月はあかしと言へど 我には照ってはくれぬか
人皆か 我のみか すべなきものか 世の道は

世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

天地は広しといへど 我には狭くなったか 
日月はあかしと言へど 我には照ってはくれぬか
人皆か我のみか すべなきものか世の道は 

> 『貧窮問答の歌』を試聴する

by くりんと

Guitar Case 108

Guitar Case > 2019

半世紀ぶりの木下大サーカス

 2019年2月、58回目の誕生日に、梅田で開催されている木下大サーカスに行ってきた。
 小学生の頃(昭和40年代)、私の住む田舎町にもサーカスがやって来た。こちらは多分キグレサーカスだったと思うが、指定されたキャラメルの箱を持って行くと割引となった。足場丸太を組んだ薄暗い観客席で初めて観た、空中ブランコ、猛獣つかい、人を消すマジック、なかでも爆音を立てた曲芸バイクは強烈な印象として記憶に残っている。

 あれから約50年ぶりに観たものは、そのサーカス団の規模や観客動員力も桁違いだし、仮設テントも近代化されている。販売されているノベルティ・グッズや食べ物も、テーマパークを連想させる。私が陣取ったのは特別自由席。テントを支えるための鉄製の大きな柱が何本も立っているが、自由席の場合、柱による死角の少ないところを確保するのが肝心だと悟った。

 サーカスにはクラウン(ピエロ)がつきものだが、2時間余りのショーを見終える中で、その役割があらためて見えてきた。
@ 演目が開始される前に、場内の空気を温める役割(前説)。
A 見ている側にとって緊張の場面が連続する中、笑いという緩和の役割。
B 準備に時間がかかる演目の前の時間つなぎで、曲芸と曲芸の連続性をもたせて客を冷めさせない。
C 客をいじっては、ステージと客席の距離を縮め場内の一体感をかもしだす。
D ジャグリングなど確かな技も持ち合わせており、曲芸を身近に感じさせる役割。
 とりわけ、Aが一番の大きな役割だと思った。日本の歌舞伎にも、看板役者の一枚目、若い人気役者の二枚目、そして道化役の「三枚目」という立ち位置がある。洋の東西や演技の中身は変われども、欠かせない存在である。

 

 さて、この日観た木下大サーカスのプログラム内容は、ジャグリングにイリュージョン、動物(猛獣)ショーに空中ブランコと、呼び名こそ変われ大まかな内容は50年前のサーカスとほとんど変わらないことに驚いた。美女が消えるイリュージョンもアイアンボール(球形の金網)内で複数のバイクが走り回る曲芸も、小学生の時の記憶と同じだった。これは決して否定的な感想を述べているのではない。あの時の曲芸が、脈々と受け継がれ、50年後の観客にも拍手喝采を浴びていることに観劇した。そして、小学生の私ではなく、50歳代後半になった私が再び、息をのんでステージを見つめ、歓声をあげ、時には笑い転げ、あっという間の2時間を過ごしたのである。
 それでも、私の目に新鮮だったのは、3つの回転軸に二人の男が挑む空中大車輪。そして、8頭ものホワイトライオンを操る猛獣ショー。ホワイトライオンは、稀少種ながら南アフリカに野生の群れとして存在しており、氷河期にいた白い保護色のライオンの遺伝子を受け継いでいるという説がある。これらの演技以外にも、象のショーやジャグリング、イリュージョンなど、多くの外国人団員によってサーカス団は構成されており、国際色豊かなサーカスに発展していた。

 私は、常々、古典的な演劇が好きで、大衆演劇やいかがわしい見世物小屋、大道芸などもわくわくする。別の項でも書いたが、これは母方の血筋だろう。そして、今、自身もエンヤトット一座というバンドで演じて見せている。今一度、一枚目、二枚目、三枚目の立ち位置をメンバー間で確認しなければならない。(笑)

by くりんと