Guitar Case 93

Guitar Case > 2013

カッコイイとは、こういうことさ

 この秋、『紅の豚』(宮崎駿監督)にはまった。ジブリ映画の長編は網羅してきたつもりだが、この映画が最後に残っていた。『紅の豚』は、宮崎駿監督の趣味である軍事関係の航空機を題材にした漫画『飛行艇時代』(模型雑誌『月刊モデルグラフィックス』>『宮崎駿の雑想ノート』※不定期連載>『飛行艇時代』)がアニメーション化されたものである。
 時代は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間で、舞台はアドリア海。主人公のポルコ・ロッソは、かつてイタリア空軍に属しアドリア海のエース・パイロットだった。しかし、多くの殺し合いを目のあたりにして嫌気をさしたが、当時のイタリア・ファシズム政権下では国の命令は絶対で従わなければならない。ならば「ファシストになるより豚のほうがましさ」「豚に国も法律もねえ」と、自ら魔法をかけて豚となった。その後は、空賊狩りの賞金稼ぎで飯を食っている。宮崎氏自身は、反戦映画だと言っている。ちなみに、「ポルコ・ロッソ」の名は空賊のつけたあだ名で、イタリア語で「紅い豚」の意味がある。

 糸井重里の手によるキャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ」とあるが、ポルコとジーナのやりとりは、映画『カサブランカ』を彷彿とさせるラブ・ストーリーでもある。とりわけジーナのセリフがいかしてる。
「私 いま賭けをしてるから ― 私がこの庭にいる時、その人が訪ねてきたら今度こそ愛そうって賭けしてるの。でも そのバカ夜のお店にしか来ないわ。日差しの中へはちっとも出てこない」
「いくら心配してもあんたたち飛行艇乗りは、女を桟橋の金具くらいにしか考えてないんでしょ」
「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの」
「マルコ、今にローストポークになっちゃうから。あたし嫌よ、そんなお葬式」
「ずるいひと、いつもそうするのね」
 最後に二人の恋が成就したかどうか、フィオの思わせぶりな一言が流れる。
「ジーナさんの賭けがどうなったかは、私たちだけのひみつ」
 その秘密は、エンディング・ロールの少し前、ホテル・アドリアーノの遠景が映ったとき、小さな赤い飛行艇をもって種明かしされている。

by くりんと

Guitar Case 92

Guitar Case > 2013

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹

 タイトルの「色彩を持たない」とは、高校時代の親友5人の姓に、赤松・青海・白根・黒埜と多崎つくる以外はみんな色が含まれており、そのことでよくからかわれたことによる。しかし一方で、彼は「自分というものがない、個性みたいなものがない、こちらから差し出せるものは何ひとつ持ち合わせていない」と自身を卑下しており、鮮やかな色彩を欠いていることにも心の課題をもっていた。
 ある日、理不尽にもこの親友たちから決別を告げられたつくるだが、「駅をつくる」という限定した興味には終始一貫性があり、大学進学・就職を経て夢を現実のものとしている。「入れ物としてはある程度形をなし」ながら、あとはその内容物をどう整えていくのか、新しい恋人に示唆された鍵は、過去の親友との決別の謎を解く「巡礼」にあった。
 その鍵を見つけに黒埜をフィンランドまでたずねていくのだが、例えばそのくだりに象徴されるように、今回3年ぶりに書き下ろされたこの長編小説は、これまでの村上作品と比べてみても、文章は

平易で村上独特の比喩やキーワードはほとんどない。また、過去の作品に見られたような非現実的な比喩空間もなく、映画を見ているように読者をドキドキさせながら引き込んでいく明解さがある。
 さて、この物語の起因となっているつくると他の4人との親友関係の決別だが、この小説のようなドラマチックな展開ではないにしろ、理不尽な人間関係の崩壊や断絶は、多かれ少なかれだれにも経験があるだろう。そうした場合、徹底抗戦や原因追求をしないまま、時間という重石で封じ込めてしまうことが多く、人によってはこうした蓄積がトラウマとなり、自分が傷つかずに済むよう相手との間に適当な距離をおく習慣が身についてしまう。自分は社交的でない、結婚願望がない、独りでいることが苦にならないなどと言い訳し、自分を納得させているけれど、あらためて原因となる重石を取り除き、心に刺さった棘を抜く作業(この小説で言う「巡礼」)が成功すれば、治癒されていくと物語は展開する。多くの読者が共感し引き込まれていく課題でもあるわけだ。
 ただ現実的には、例えば高校時代の問題を解決するなんて甚だ厄介だし難しい。やっぱり、その時にできる限り原因究明し溜飲を下げておく必要がある。でも、かの重石がもし「年間を通して溶けることのない厳しい凍土の芯のようなもの」だったとしたら、時間をかけてゆっくりと溶かすことができるかもしれない。それは自分自身の体温によるものではない。他のだれかの温かさでなければならない。やっぱり人は、だれかに愛されないと生きてはいけない。しかし、そのためにはまず自分から無条件で愛さないと、その愛は得られない。

 村上春樹の小説をこんな風に読んでは、薄っぺらいだろうか。もし、村上氏の暗示なるものがあるとするならば、4月23日付朝日新聞の文化欄に掲載されていた翻訳家鴻巣友季子さんの寄稿が一番しっくりきたので、あとはそれに譲ろう。以下、抜粋。
 「構図は『ノルウェーの森』の現代アラフォー版。魂の友を失い、生身の恋人を得て再生へ。この親友5人を共依存した『家族』に喩えると、ある者が独り暮らしをすると調和が崩れ、残ったある者が精神を病む。それは家を出た者のせいとして彼は勘当される。病人の介護は女性に押しつけられ,彼女も危うく介護倒れ。男性は見て見ぬふり。声の小さい者が切り捨てられ,弱者が消え、優しい者が過大な重荷を背負う。」

by くりんと

Guitar Case 91

Guitar Case > 2013

映画『山桜』

 藤沢周平の小説を原作とする、篠原哲雄監督の映画『山桜』(2008年公開)が、先日、BSで放映された。折しも、里山では山桜が美しい季節。
 この映画では、3人の「待つ女性」が描かれているように思う。一人目は、野江(田中麗奈)の伯母。結婚を約束した人に先立たれ、その後は自立して独身を通した。野江にとって気になる存在だ。二人目は、手塚弥一郎の母志津(富司純子)。城中で刃傷沙汰を起こして投獄された弥一郎の帰りにかすかな望みをもち待っている。事件後、人の途絶えた屋敷を野江が訪れた際、奥から富司純子演ずる志津が現れたときには、この女優しかないと納得した。そして、三人目はこれから待とうとする野江。ずいぶん遠回りをしてきたが、今度こそ幸せを掴むことができるかもしれないと、志津と共に弥一郎の帰りに希望を抱く。
 私の解釈だが、人々の目を楽しませるために植えられたソメイヨシノと異なって、ヤマザクラはそれぞれが自立していてオンリー・ワンの美しさがある。三人の女性が、それぞれの美しさをもった山桜として、受けた生を全うしようとする、そんな物語だと映った。

by くりんと

Guitar Case 90

Guitar Case > 2013

エチオピアの音楽職能民ラリベロッチ

 『スコラ坂本龍一音楽の学校(NHK-ETV)』で「アフリカの音楽B」が放送(21013.3.1.)された。その中で、歌うことを職業とする人たち“ラリベロッチ”の存在が紹介され、強く関心を持った。ラリベロッチとはエチオピア版“門付”のことで、穀物の収穫によって農家の家計が潤いはじめる時期に現れ、各戸の前で祝詞歌謡を歌って、住人から浄財の喜捨を誘い出したり、または食べ物を施してもらうことで生計を立てていく。
 歌にはある程度決まり文句があるが、歌い始める前にその家の取材をして、場面対応的に個人情報を歌詞に盛り込むことによって、聞き手に親近感を抱かせる。ここで大切なのは、音感の確かさ、声の大きさ・美しさが重要ではなく、いかに聞き手を満足させるか、高揚させるか、褒め称えていい気にさせるかということであると、番組の解説が加わる。
 一方、ラリベロッチに対する人々の反応は、親しみ、侮蔑、羞恥など様々な感情が伺える。門前で邪険にあしらわれることも度々だが、ラリベロッチ側といえば、たとえ人々に拒絶されても決してひるむことなく、絶妙なジョークによってその活動を正当化しつつ、人々の彼らに対するプラス・マイナスの対応をユーモラスに歌唱にとりこんでゆくわけだ。こうしたラリベロッチについての詳細は、映像人類学研究者川瀬慈による映像作品『ラリベロッチ−終わりなき祝福を生きる−』に詳しい。
 番組のなかで、「ラリベロッチの存在は音楽家の成立の起源を示唆する」と、塚田健一(広島市立大学教授)は説く。さらに、「音楽家というのは、才能があって、社会的に尊敬されていて、ステージ上で輝いていて、注目の的、というのが昨今の前提だが、一部の例外的な才能のある人だけが演ずるものという考え方は、根本から否定したい」と力説する。例えば、ヨーロッパなんかに多いストリートミュージシャンの場合、音楽をやって街に1つの音の空間を作り出し、気が向いた人たちがポトンとお金を落としていく“おひねり(投げ銭)”を貯めて、生活の糧の一部としている。それがさらに発展していくと、多くの聴衆を集め、ステージ上から楽しませ湧かせて入場料をいただくという形になるのだが、いずれもラリベロッチの延長線上に存在するのではないかと、塚田氏は説くわけである。

 私は、このラリベロッチの存在に、次のキーワードを拾い出してみた。

 @ 存在の「正当性」→ 祝詞をあげ神に基づいた芸能であることを根拠にカリスマ性を演出、侮蔑にも屈しない
 A パフォーマンスの「季節感」→ 収穫祭や新年のお祝いといった時期をねらって訪れる
 B 「場面対応的」→ 各戸の取材を行って即興的に歌に盛り込み、侮蔑もアドリブ、ジョークでかわす
 C 明確な「目的」→ 浄財の喜捨を誘い出すという一点

 彼らは@の根拠に信念を持ち、A〜Bの要素を経験値的に磨き上げ、聞き手の「満足感」「幸福感」「高揚感」を導き出して、Cの目的を達成させている。この方程式は、現在の音楽や芸能活動にも共通することであるにちがいない。私自身、バンドをやる端くれの一人として、いずれも意識になく欠如していることに、今気づかされた。

by くりんと

Guitar Case 89

Guitar Case > 2013

トラベリング・ウィルベリーズ The Traveling Wilburys

【ウィルベリーズ・メンバー】
ロイ・オービソン Roy Orbison
(1936-1988 アメリカ)
 1955年にレコード・デビュー、伸びやかなファルセットが特徴的な歌声とロカビリー調の楽曲で、1960年代前半から中盤にかけて大成功をおさめた。代表曲は「オー・プリティ・ウーマン」や「オンリー・ザ・ロンリー」など。愛称は、ビッグ・オー(The Big O)。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いても第13位であるなど、ロック黄金期に活躍したスターがこぞってリスペクトしており、特にディランによる賞賛は最上級。

ボブ・ディラン Bob Dylan (1941- アメリカ)
 1962年のレコードデビュー以来半世紀にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。代表曲は、「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」など多数で、グラミー賞やアカデミー賞などの受賞をはじめ、2008年には、「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を受賞、詩人としてノーベル文学賞の候補者にも名前が上がっているほどだ。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位。

ジョージ・ハリスン George Harrison ( 1943-2001 イギリス)
 言わずと知れた元ビートルズのメンバーで、リードギタリストとして活躍した。解散後はソロとして活動、「マイ・スウィート・ロード」や「ギヴ・ミー・ラヴ」「セット・オン・ユー」などをヒットさせたほか、『オール・シングス・マスト・パス』(1970年)は、ロック・アルバムの金字塔として高く評価されている。ボブ・ディランやエリック・クラプトンをはじめ彼を慕う親友は多く、「友達全員を特別扱いする」とまで言われるほどその人柄はあたたかい。

ジェフ・リン Jeff Lynne (1947- イギリス)
 ELO(Electric Light Orchestra)のリーダーとして有名で、1970年代から80年代にかけて「テレフォン・ライン」「シャイン・ラヴ」「ザナドゥ」など数々のヒット曲を連発し、一時期はギネスブックに「最も多くの全米トップ40ヒットを飛ばしたグループ」として紹介されていた。最近は、プロデューサーとしても評価が高く、80年代後半以降、デイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、トム・ペティ、ロイ・オービソン、デル・シャノンなどのプロデュースを手掛けている。

トム・ペティ Tom Petty ( 1950- アメリカ)
 1976年にトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの中心人物としてデビュー以来、ライブ活動やアルバム・リリースをコンスタントに続けており、現在でもアルバムは全米チャートのトップ10に食い込むほどの人気を誇る。欧米と日本とでは、その知名度の落差が大きい。彼自身が最高のロッカーである一方で、50〜60年代の先輩達へのリスペクトを大切にしており、彼とそのバンドが活躍する限り、アメリカン・ロック・シーンは大丈夫だと思わしめる存在。
(※ 以上、Wikipedia参照)

【ウィルベリーズ伝説】
 1988年4月6日の夜、伝説は始まった。ジョージは前年に発表した『クラウド・ナイン』から“This is love”をシングル・カットするため、B面用にもう一曲用意する必要があった。その日の夕食で、プロデューサーのジェフ・リンに加えロイ・オービソンも同席していたたが、「明日、スタジオ入りするよ」と伝えると、ロイも録音に参加しようということになった。ディランの自宅スタジオを借りることにもめどがつき、さらに、ジョージがトムの家に置いていたギターをとりに行くと、彼もレコーディングに顔を出すことが決まった。
 そして翌7日、家主のディランも加わって5人での曲作り始まった。みんなでいじくりまわしてあれよあれよという間に、“Handle with care”のデモ・テイクが出来上がっていた。あまりの出来映えの素晴らしさに、それをどうしていいか決めあぐねてたジョージは、この5人であと9曲録音して、アルバムを作ってしまおうというプロジェクトを思いついた。
 1ヶ月後、LAにあるデイヴ・スチュワートの別荘スタジオでレコ−ディングが始まった。「おい、ロイ・オービソンがメンバーだぜ」と、再び集まったアーティストたちは興奮気味。ディランはツアーがあるため、10日間でレコーディングを終わらせ、あとは4人で楽しく仕上げた。作詞・作曲も5人の共同作業、お互いにアイデアを出し合い、ヴォーカルをとってかわり、みんなでコーラスをつけ、9曲が出来上がっていった。
 こうして形が整ってきたアルバムだが、問題はそれぞれの所属レコード会社が異なること。そのため、5人それぞれの本名は隠し、ウィルベリー兄弟を名乗る覆面バンドを装うことにし、『The Traveling Wilburys Vol.1』が世に出た。しかし、大ロック・スターのユニットであることは瞬時にばれ、完成度の高いアルバムは大ヒット、アメリカ・ビルボードのアルバム・チャートで2位、キャッシュ・ボックスでは1位を記録してプラチナアルバムとなる。ところが、そうした朗報の数日後に、年長のロイは心臓発作で急逝。葬儀の翌日、メンバーはシングル・カット曲の“End of the Line”のビデオ撮影を行い、彼の遺影とギターを共にしながらの追悼演奏となった。
 さらに伝説は続く。4人のあつい友情は、1990年春、再び結集。ウィルベリー兄弟はLAでレコーディングを開始、『The Traveling Wilburys Vol.3』として発表する(なぜかVol.2をとばしてVol.3)。一作目の伝説は褪せることなく、ウィルベリー・クォリティは確かに保たれた。このアルバムのインナーには、こう記されてある。
  “Volume 3 is dedicated to LEFTY WILBURY”  「このアルバムをレフティ・ウィルベリー(長男役のロイ)に捧ぐ」

【ウィルベリーズ・サウンド】
 それぞれ独自のスタイルと世界観をもつ5人のアーティストたちだが、その共通因子は「50年代後半のロックンロール・サウンド」。メンバーそれぞれが腕に覚えのある懐かしいサウンドを、出し惜しみされることなく、新しいスタイルでここに蘇った。アコスティック・ギターをサウンドの基本としながら、美しいコーラスやハーモニカといったシンプルで腕の良いお化粧を施し、懐かしく飽きのこないギター・リフが心地よいグルーブ感を生み出している。ビートルズをもっと聴きたければ、ポールでもジョンでもなく、まちがいなくジョージの楽曲だろう。彼が最も正当なビートルズ・サウンドのDNAを受け継いでいると言ってもよい。また、あの頃のボブ・ディランをもう一度聴きたければ、ウィルベリーズを紐解くと良い。私自身も50歳を過ぎて未だバンドごっこをやる端くれの一人だが、原点に立つことの心地よさに今浸っている。
 とは言うものの、全く質の異なる複数のヴォーカルや才能の共演にどう折り合いをつけるのか、下手をすれば有名人の寄せ集めバンドになってしまいがちだが、ウィルベリーズ兄弟にはもう一つの共通因子があった。ロイ・オービスは年長で、ディランやジョージの60年代ロック黄金期よりも、世代が1つ前になる。しかし、年下の弟たちは、その長兄の美声と音楽を敬愛し、ロック創生期の偉人をリスペクトしてやまない。この姿勢こそが、ウィルベリーズの背骨となり、バンドの絆とあたたかさを形成している。
 音楽経験豊富な兄弟たちは、一人の持ち込んだキャッチーなフレーズに、みんなで詞を書き加え、メロディーやコード進行のアイデアを出し、ディランがハーモニカを加えれば、ジェフがコーラスをリードする。こうした音楽の作り方がウィルベリーズの基本だが、メンバーは「これはジョージのバンドだ」と言う。一方ジョージは、「僕の仕事は友情を守ること。友情が壊れないように見張っていた」と答えるが、ウィルベリーズ・サウンドにジョージを核とした友情が存在することも付け加えておかなければならない。
 なお、アルバムは1990年代後半に廃盤となったが、2007年7月、ボーナス・トラックを加えたデジタルリマスター盤が発売された。とりわけ、『Vol.1+Vol.2+DVDの3枚組』のDVDに収録されたレコーディング風景やPVはとても興味深い。ウィルベリーズの出発点で象徴的な1曲となった“Handle with care”では、5兄弟が1本マイクに円陣を組んでギターを弾き、ヴォーカルをとってかわり、コーラスをつける風景が映し出され、楽しく友情に満ちあふれた音楽空間が視覚的にも読み取れる必見の映像だ。

【The Traveling Wilburys Vol.1】
1. Handle with Care
 この曲の制作をきっかけに、ウィルベリーズ伝説が始まった。ディランに「曲名は?」と尋ねられたジョージは、目についた段ボール箱の注意書き『Handle with care (取扱注意)』をそのまま伝えると、ディランは「いいタイトルだ」と作詞を手伝った。ジョージのメロディアスなヴォーカルで始まり、サビはロイの伸びやかなファルセット、そしてボブとトムのコーラスが楽しく突っ込んでくるという趣向。このアルバム中の曲にたびたび登場する象徴的な役割分担といえる。

2. Dirty World

 エンディングで5人が順番に、『He loves her ○○.(彼女の○○を愛している。)』の○○の部分のヴォーカルをとるという趣向。雑誌をみんなに配って、それぞれが気に入った言葉を拾い出してきたらしい。練習風景が録画されていて、ロイが“Traveling” を“Trembling”と何度も言い間違え、みんなで大うけしているところが印象的だ。

3. Rattled

 このバンドのドラマーは、ジョージの親友のジム・ケルトナー。スタジオ内の冷蔵庫に目を付け、扉や棚など片っ端からたたいていい音を探し、レコーディングにも使われた。メンバーは「これがロックン・ロールの根源さ」と言う。

4. Last Night

 トムがシニカルに歌う一方で、ロイのサビとのコントラストがおもしろい。曲が出来上がると、順番にヴォーカルをとってみて、だれが一番その曲に合うか決めたようで、さながらオーディションだったとその緊張感を楽しく振り返る。ビデオでは、“Last Night”に出会った女について、メンバーがあれこれアイディアを出し合いながら詞を書いているシーンがある。

5. Not Alone Any More

 この曲で、メンバー全員の夢がかなった。ロイ・オービスが練習し始めると、スタジオ別荘内どこいてもあの美声が聞こえてくる。ロイという最高の歌手とボブという最高の詩人がそろったバンドなんだから、なんとかロイのヴォーカルで最高の作品を作り上げたいと願ったようだ。60年代後半以降、十分な活躍の場に立てなかったロイは、その後、事故で奥さんを亡くし、さらに火事で息子2人も失った。自身は心臓を患い、過酷な運命と戦ってきたが、ここきて最良の友と出会い、“Not Alone Any More”と歌う。
 ジョージは、ある夜、どうしても1つのコードが気に入らないと一人でスタジオに戻ってきて違うコードを試していると、他のメンバーも徐々に合流してきて再び曲作りが始まったそうだ。バックのコーラスでは、ロイの美声を邪魔しないようにずいぶん苦労したという事後談もある。いずれにしても、メンバー肝入りの最高の1曲だ。

6. Congratulations

 ボブが持ち込んだ曲だが、みんなで作った。それぞれが質の高いアイデアをもっているから、ボブの曲らしくもあり、また一方でふ〜っとさわやかな風が流れ込む。豪華なコーラス陣も思い浮かべて聞いてほしい。

7. Heading for the Light

 軽快なアップ・テンポの曲調は、ジョージの面目躍如。どこかで聞いたことのあるような懐かしいギター・リフは、私自身結構気に入っている。「明日に向かってがんばって歩いて行こう」という応援ソングだと、勝手に解釈しているが。

8. Margarita

 電子音で始まる曲だが、耳慣れたギター・コードのリフレインがアコースティック感 満載。2枚組のアルバムを聞き込んだ後、とてもいかした曲に思えてきた。曲の最後で、トムのヴォーカルが合いの手のように入ってくるところにまたしびれる。

9. Tweeter and the Monkey Man

 アメリカ人同士のボブとトムがとりとめもなく話している会話をカセットテープに録音し、ボブが詞におこした。レコーディングもスムーズで、1回目はウォーミングアップ、2回目でヴォーカル録りは終え、あとはちょこちょこと詞を手直しした程度らしい。ちなみにボブの字はとても小さくクモが這ったみたいで、その走り書きの歌詞カードでよく歌えたもんだとトムが驚いている。

10. End of the Line

 カントリー調の曲だが、ギターの軽快なバッキングによって、古くささを感じさせない。“End of the Line”とは、電話線の向こう側、この道の行く先、汽車の終着点、人と人との繋がり、ひいては、ジョージによると輪廻転生をも意味するらしい。PVでは、列車に揺られながら旅をするウィルベリーズ一座という設定で、メイン・ヴォーカルはジョージ→ジェフ→ロイの順に回しているが、ロイの順のところではロッキングチェアに揺られた彼のギターと遺影が映し出されている。ロイは、この撮影の直前に心臓病で他界したのだった。さながら追悼ライブのようだ。

 前奏の印象的なギタープレイはジョージ。ドラマーのジムはスネアの皮の上にタンバリンをおき、その上からスティックとブラシで叩たくという面白いプレイが目を引く。また、このバンドでは、トムがベースを担当しているようだが、ギターリフのようなコーラスの合いの手がいい。この曲で、ジェフのヴォーカルも一級品であることを再認識した。

11. Maxine

 2007年のアルバム再販に際して、新たに加えられたボーナス・トラック。シンプルなアコースティック・ギターのストロークに、ジョージのヴォーカルがからむ。

12. Like a Ship

 こちらも未発表音源からのボーナス・トラック。ヴォーカルはいうまでもなくボブ。


by くりんと