Guitar Case 81

Guitar Case > 2010

1961年生の田原俊彦と石野真子

 リモコンでテレビのチャンネルを送っていると、音楽番組「HEY!HEY!HEY!」(フジテレビ系列2010/12/13放送)が目にとまった。「冬の名曲」と題して、なつかしい歌手を登場させるという趣向だが、やがて歌手デビュー30周年を迎える田原俊彦がスペシャルライブを披露した。私にとって、画面上の田原はずいぶん久しぶり。
 実は少し前、朝日新聞「耕論/逆境をゆく」の中で『マイケル亡き今、ぼくが一番」という田原の記事を読んだ。「歌もダンスも進化している。マイケル・ジャクソン亡き今、歌って踊るステージでは、ぼくが一番だって言う自信がある」と。

 彼は、1979年のTBSドラマ『3年B組金八先生』出演をきっかけに、「たのきんトリオ」の先陣を切って『哀愁でいと』で歌手デビュー。1980年代のトップアイドルとして活躍する一方、『教師びんびん物語』など俳優としても活躍した。しかし、1994年ジャニーズ事務所を独立してからは、状況が一変する。ヒット曲もなくテレビ出演も激減。結婚して長女が生まれた記者会見では、「僕ぐらいビッグになると…」と、いわゆる「ビッグ発言」で各マスコミからパッシングを受け、「an・an」の嫌いな男ランキング1位となる。それでも今は、毎年新曲を発表し、ライブや小さな枠の中で精一杯パフォーマンスを演じ、地道に歌手活動を続けている。彼は記事の中でこう続ける。「打席に立たなきゃヒットは打てない。結果が伴わず、逆境やどん底にいると感じている時は、後ろ向きな気持ちになりますよね。でも逃げちゃダメだ。」
 この新聞記事を読んだあとのテレビ出演だけに、彼のステージは特別な思いで私の目に映った。だからだろうか、いやいやこの日の彼は実にかっこよかった。頭は幾分薄くなったが、スタイルは維持され“歌”も“ダンス”も進化している。
 実は、トシちゃんは昔から嫌いだった。軽薄そうなキャラに加え下手な歌。なぜ、歌って踊る必要があるのか、マイケル・ジャクソンのスタイルは受け入れがたかった。しかし、あれから20〜30年たって、もはや歌の上手下手などどうでもいい。ダンスをもう少し見ていたくなるほど、きまっていた。美味しいお酒を飲んだようなほのかな酔い。最後は、『抱きしめてTONIGHT』。トップ・アイドルとして突っ走ったキャリアは、決して軽薄でもなく健在であった。

 なんと、彼と私は同い年。誕生日もわずか4日しか違わない。オッサン化に加速がつき始める同世代の中にあって、彼の存在は勇気を与えてくれる。もはや誰にこびることもなく大小のステーに立つ彼の姿はやっぱり“ビッグ”だ。
 蛇足かもしれないが、この日同番組に出演していた石野真子も同い年。彼女は1月生まれで、私は2月生まれ。画面の向こうではしゃぎまくりオバサン化した堀ちえみや国生さゆりとは対照的に、大人の女性の雰囲気。彼女もこの間、人生の辛苦を味わったと聞くが、齢にあった『ワンダー・ブギ』を少しはにかみながら きちんと歌った。私には、芸能界の酸いも甘いも知る由はないが、田原俊彦も石野真子もいい顔している、いい歳の取り方をしているなと映った。この夜、私はとてもいい気分になった。

by くりんと

Guitar Case 80

Guitar Case > 2010

鎮守の森コンサート

「鎮守の森」とは、神社に付随した森林。「杜(もり)」の字をあてたり、「社叢(しゃそう)」と呼ぶ場合もある。宮脇昭氏などはそこの植生に注目、その地域本来の植生が極相林に近い形で残されている所も多く、森林生態学的にも保護すべき貴重な森林と唱えている。西日本では、シイやカシなど照葉樹の大木がみられ、鬱蒼とした空間はまさに縄文時代以前の風景かもしれない。
 一方、小学校唱歌の『村祭り』に登場した「鎮守の森」がそうであるように、そこは地域の氏子や村人の楽しい社交場でもあった。収穫を祝う秋祭りに加え、市が開かれ猿回しや獅子舞といった芸能が演じられるなど、余興の少ない時代には1年でもっとも楽しみな年中行事の1つがここであった。
 中世までさかのぼると、「猿楽」という芸能がある。散楽の流れをくむ軽業や手品、曲芸、呪術まがいなど多岐に渡る芸能のうち、
物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが「猿楽」と言われている。その「猿楽」は社寺の庇護を得て、祭礼の際などに芸を披露した。やがて、公家や武家の庇護も得つつ、能や狂言に発展していったと言われている。 

 話は長くなったが、このように「鎮守の森」と芸能は、長い歴史の中で相互補助の関係にあり人々に親しまれてきた。ところが、戦後にわかに、人々の足は「鎮守の森」から遠のく。バイパス道路が通るといえば森は削り取られ、スポーツや文化講座のための社交場には、体育館や公民館が建つ。また、芸能人やミュージシャンにとってのステージは、テレビや寄席、コンサートホールがとってかわることになる。今や、「鎮守の森」に大勢の人々が足を向けるのは、初詣ぐらいだろうか。 

 ところが、この「鎮守の森」で音楽会を催し、再び地域の社交場として人々に足を向けてもらおうという試みが、奈良県五條市で20年にわたって行われてきた。御霊神社の「鎮守の森コンサート」。どの公的機関にも、またスポンサーにも頼らない、地域住民とサポーター手作りのライブステージ。入場無料のコンサートゆえ、資金は賛助会員によるカンパのみだ。実際のところ、一流のミュージシャンを呼ぼうと思えばお金がかかるし、ギャラなしでは、プロの方にはなかなか来てもらえない。こうしたジレンマをなんとか克服してきたのも、主催者の人脈と腕の見せ所と言える。この20年の間には、西岡恭蔵、大塚まさじ、桑名晴子、佐川満男、大島保克、岸部眞明、有山じゅんじ、増田俊郎、島田和夫、小坂忠、長田TACO和承といった綿々たるアーティストが顔を並べた。
 私は、第1回のまだ「木漏れ日コンサート」と称して始めたころのライブから目撃している一人である。そして、第15回にはエンヤトット一座としてステージに立った。このときは、スペシャルゲスト佐川満男の存在感に圧倒されたけど、「ずいぶんうまくなったな」と主催者代表HARUさんからのうれしいお言葉。このように五條にすっかり定着してきたこのコンサートも、実は今年で最後となった。20年を機に、一端(?)幕を下ろすらしい。その最後のステージに、「エンヤトット一座も是非」と再び声がかかった。千秋楽2010918日は、8時間ぶっ通しのコンサート。気合いを入れて本番にのぞんだ後は、缶ビール片手にゆっくりと種々の音楽を楽しんだ。私的には、トリを飾った良元優作&西條渉のステージに釘付けとなる。とりあえず(?)ファイナルとなった「鎮守の森コンサート」だが、ここを土俵に次の若い芽が確実に育ってきていることも、この目で確かめることができた。

by くりんと

Guitar Case 79

Guitar Case > 2010

つじあやの的展開

つじあやのと言えば、ジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌『風になる』で知られるシンガー・ソングライター。
そういう私は、彼女のことをほんの少し前まで全く知らなかった。
最初に聴いたのは『プカプカ』。
ウクレレ一本の伴奏に、ほんのりふわぁっ〜とした女性ヴォーカル。
『プカプカ』の中の西岡恭蔵色はすっかり浄化されてしまっている。
この1曲ではまった私は、YouTubeとにらめっこ。
つじあやの的展開に、目から鱗が3〜4枚はがれ落ちた。

で、1枚目の鱗というのは、ウクレレ一本の弾き語り。
今どき、アマチュアでさえフォーク・ギター一本で歌うことをはばか

COVER GIRL
COVER GIRL

るのに、ウクレレ一本での弾き語りとは、実に古くて新しい。
オヤジ化しつつある私には、「ウクレレの弾き語り=牧伸治の歌謡漫談」の
イメージがこびりついて、逃れられない。
「ギターを弾きたかったが、手が小さかったためウクレレを始めた」と聞くが、彼女にとっては何のためらいもなく、自然な流れだったのだろう。
私の手は十分大きいが、もし、もみじのような手だったとしても、牧伸治の範疇を乗り越えることはできなかっただろう。

2枚目の鱗は、70年代後半生まれの女性による、まさかの『プカプカ』のカヴァー。
私と同世代(60年代生まれ)であっても、どれだけ西岡恭蔵を知っているだろう。
ちなみに彼女は、吉田拓郎の『結婚しよう』、井上順二の『お世話になりました』、ロスインディオス&シルビアの別れても好きな人』、大滝詠一の『君は天然色』、シュガー・ベイブの『パレード』など、オヤジ心をくすぐるような往年の ヒット曲もカヴァーしている。
フォーク、演歌、ロックとジャンルにとらわれず、あくまでもつじあやの目線。
いずれもほんわかした、つじあやの的アレンジで消化され、癒しを与えてくれる。

3枚目の鱗は、『COVER GIRL』というアルバムのコンセプト。
2枚組計14曲が収録されているが、Disk1は 「tokyo side」でスタジオレコーディング。
そして、Disk2が 「kyoto side」で、彼女の地元京都ゆかりの地でのレコーディング。
特にDisk2の曲は、鴨川の川縁や出身校の体育館などで録音され、おもいっきりウクレレ一本勝負。
中でも、実家の自室で使いこんだラジカセに一発録りした「Swallowtail Butterfly -あいのうた-」などは、彼女の発想と度胸に唖然としてしまう。

4枚目の鱗は、熱唱しないふんわかした癒し系ヴォーカル。
鼻歌がCDにのっかてるというのは、言い過ぎだろうか。
か細い声を、もがきふりしぼっていた私にとって、「歌唱力ってなんだろう」と、新たな道標と課題を提起してくれた。

「俺って、なんと自己規制の強い男なんだ。」
つじあやのに、うちのめされた今年の春です。

by くりんと

Guitar Case 78

Guitar Case > 2010

わがヒーロー坂本龍馬のデジタル化

 2009年の夏から、岡林信康氏の活動初期のアルバムが順次復刻CD化されている。これまで岡林氏は「過去の作品を再び出すことに全く興味がなかった」ということだったらしいが、ファンからは長い間、レコード・CD化が待たれていた。今回の一連の復刻は、岡林の音楽が再び若い世代に注目され始めているということも一因らしい。年末の12/27にTBSで放映された「情熱大陸」でも、このことが取り上げられ、再びブレイクの勢いも増してるようだ。そう言えば、かつて“フォークの神様”とまつりあげられた60〜70年代の社会情勢と今とがオーバーラップするような気もする。私の中では、20年前に岡林信康という火がつき、その後のエンヤトット一座の活動の端となっている。
 一方、ビートルズの全アルバム(15タイトル)がデジタル・リマスター化されて話題を呼んだのも、2009年の夏であった。私の場合、中学生〜大学生の頃に夢中となって、レコードの方を全アルバム持っているが、「ザ・ビートルズ・ボックス」として3万円前後で販売されているとなると、気になって仕方がない。
 さて、さらに話は変わるが、2010年のNHK大河ドラマとして福山雅治主演の「龍馬伝」が始まる。年末からNHKを中心に龍馬を紹介する番組が放映され、主演が今話題の福山となれば、今年は間違いなく坂本龍馬ブームの年となるであろう。私の龍馬像は、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を基本として成り立っており、こちらも20年ほど前にマイブームとなって、高知や京都の所縁の地を訪ね歩いたりもした。しかし、その時の龍馬像からすると、今回の福山のイケメン龍馬は、私にとってさしずめ「龍馬のデジタル・リマスター版」といったところだろうか。
 この一年、私の青年期のヒーローが、「デジタル化」というフィルターを通して、再びブレイクしようとしている。いいものは、本物は、その時代にあった形に変えられながらも、何度も求められていくものなんだとしみじみ思う。奇しくも時同じくして、エンヤトット一座がかつて制作したカセットテープ・アルバム(全4巻)を、この正月休みにデジタル化した。これまで音源がテープのままだったので、これで何十年か賞味期限が延びたというわけだ。ただし、こちらは時代の要請がまだありませぬが。(笑)

by くりんと