「4月16日未明、高田渡さんが天に上った」と、NHKをはじめ各メディアが報じた。
4月3日に北海道・白糠(しらぬか)町のライブ後に倒れ、救急車で釧路市の病院に運ばれていたらしい。
56歳。
そして、新聞等は、高田さんの略歴を以下のように付け加えている。
「自衛隊に入ろう」「自転車にのって」などで知られるフォーク歌手、高田渡さんは昭和44年にデビュー。
岡林信康さんらと関西フォークの中心的存在となって初期のフォークシーンを支え、加川良、友部正人、なぎら健壱ら多くのフォークシンガーに影響を与えた。
時事的な話題を皮肉った反逆性や批評精神に富んだ作風と、ヒゲを生やした仙人のような風貌で、「日本の吟遊詩人」「フォークのカリスマ」などのあだ名で親しまれ、人気に。また、ステージ上で突然、「ゴー」といびきをかいて寝てしまうなど、気負いのない風来坊のような姿が印象的だった。
(サンケイスポーツより抜粋)
先日より、西岡恭蔵&クロちゃんをしのぶ追悼ライブのビデオを、MDに編集して聴いていた。
そのステージで、
高田渡は、中川イサトのギター、息子漣のスチールギターをバックに、いつものいい感じで歌ってたのに、こんなに早く、今度は彼が追悼される番になるとは...。
最後まで、歌い続けていたのは、せめてもの彼の本望か。
実は、エンヤトット一座も、2度ほど高田渡ライブを主催しながら前座をつとめた(1996,1998年)縁がある。
スチールギターをやってるタコさんの紹介で、五條に来ていただき、彼の音楽スタイルを間近に拝見させていただくと共に、寿司をつまみながら昨今のフォーク事情を聞かせていただいた。
ライブ前に、トイレで隣り合わせになり、あまり意味のない会話でその場を取り繕ったのも、彼の人柄として思い起こされる。
最近では、NHKなどがドキュメンタリーとして、彼の生き方を追いかけた番組を制作していたが、なかでも沖縄出身の詩人山之口獏さんとの係りは、非常に興味深い。
「生活の柄」「鮪に鰯」「結婚」などの曲に象徴されるように、山之口獏の詩は高田渡の作風の柱の1つとなっている。
先の番組によると、山之口獏さんは東京という大都会の生活の中では、沖縄出身であることを隠していたようだ。
60年代、70年代では、まだまだ「島差別」みたいなものを感じられていたのかもしれないが、そんな中で時事的な世相を風刺した詩は、いわば元禄の世の川柳や狂歌にも似ている。
高田渡は、そんな詩を好んだ。
何気ない日常を歌った。
人間を歌った。
こうした彼の生き方、歌い方は、90年に入って再び、人気を呼び起こした。
そして、2004年には、150日間密着撮影したドキュメンタリー映画『タカダワタル的』(タナダユキ監督)が公開される。
セカンド・アルバム『系図』の中に収められている「告別式」。
今、聞きなおしてみると、いかにもタカダワタル的。
歩き疲れて、夜空と陸の隙間にもぐり込み、所かまわず寝こんだだけのこと。
彼には、この世もあの世もないのかもしれない。
by くりんと
告別式 詞:山之口獏
お金ばかりを 借りて
歩き まわっているうちに
ぼくは ある日
死んで しまったのだ
奴も とうとう死んでしまったのかと
人々は そう 言いながら
煙を立てに来て
次々に挨拶しては
僕の前を立ち去った
こうしてあの世に 来てみると
そこには ぼくの オヤジがいて
むくれた顔して 待っているのだ
なにを そんなに
むっとしているのだと聞くと
お盆になっても 家からの
ごちそうがなかったと
すねているのだ
ぼくは ぼくのこのオヤジの
頭をなでてやったのだが
仏に なったものまでも
お金のかかることを
ほしがるのかと思うと
地球の上で生きてるのと
同じみたいで
あの世も
この世も ないみたいなのだ
お金ばかりを借りて
歩き まわっているうちに
ぼくは ある日
死んで しまったのだ |
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生活の柄 詞:山之口獏
歩き疲れては 夜空と陸との
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
所かまわず寝たのです
歩き 疲れては
草にうもれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです
近ごろは眠れない
陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない
ゆり起こされては眠れない
歩き 疲れては
草にうもれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです
そんな僕の生活の柄が
夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は 秋は 浮浪者のままでは眠れない
秋は 秋からは
浮浪者のままでは眠れない
歩き疲れては 夜空と陸との
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
所かまわず寝たので
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