Guitar Case 50

Guitar Case > 2004

ロックバンドとオペレーター(PA)

 

“ロック・バンド”にとって“PA”は、大切なパートナー。
PAの存在や、そのオペレーターの腕によって、ライブが生かされる。
(もちろんその前に、バンドに実力が伴わなければならないが、その実力不足も、時にはカバーしてくれるくらいの力を持っているということ。)
私たちは、よく<PA>というけれど、調べてみれば、<Public Address System>。
つまり、音を拡声する設備のことで、“PA”を担当してくれる方を指すなら、 オペレーター <Sound Operator>が適当なのかも。

ただ、正直言って、オペレーターとの付き合い方やそのコミュニケーションの取り方が、私自身、未だよくわかっていない。
一座のライブのほとんどの場合、主催者が予算を組み契約したPA及びオペレーターにお世話になる。
その際、主催者側とそのPA会社との契約の詳細がよくわからないから、サウンド細部のやり取りになると、私たちのオペレーターに対する「恐縮」が勝ってしまう。
したがって、時間を気にしながら、「そんなもんで結構です」と終わってしまう。
さらに、自分たちの音作りや構成が、ライブ直前まで定まっていない上に、当日のリハーサルを、「最後の練習の場」と勘違いしてきたことも、私たちの反省である。

さて、今回のライブ(アイワナドゥ岩戸2004)では、思い切って、信頼できるPA及びオペレーターの同行を、自分たちでお願いした。
そして、先に話したような「オペレーターとのコミュニケーションの取り方」を、学ばせていただいた。
そこで、何点か得たこと。
○ ミュージシャンは、ステージ上を支配するサウンドのチェックに重点を置き、自分たちが気持ちよく演奏できる環境を整えること。逆に、客席側に聞こえるサウンドをコントロールすることはきっぱりあきらめ、それこそオペレーターの仕事と任せきること。
○ 小さな屋内で演奏する場合、ドラムを用いるか否か、私たちの常に議論の尽きないところだが、ドラムの音量をコントロールすることはあきらめ、ドラムの生音を基準に、他の楽器の音量を調整すること。その上で、その空間にドラムがふさわしいかどうか考えてみる。その際、ヴォーカル用のマイクが、ドラムやパーカッションの音をよく拾うので、それらの設置場所に固定観念を取り払うことも肝要。
○ ある意味で、オペレーターは、何番目かのミュージシャン(バンドのメンバー)であり、一番の聴衆である。オペレーターものってくると、ライブの終盤、自然と指先のヴォリューム・コントローラーを上げているらしい。誤解を恐れずに言うと、オペレーターには礼儀をもって接し、かつ、のってもらいましょう。

ロックバンドは、もはや、一人(自分たちだけ)では生きていけない、弱くて金と人のかかる集団なのである。

by くりんと

Guitar Case 49

Guitar Case > 2004

おお牧場はみどり♪

 

キリンの淡麗グリーンラベルのテレビCM(2004年4月放映中)をご存知だろうか。

「晴れた昼下がり。緑の丘にバンドメンバーが集まってのんびり練習しています。グリーンラベルを飲みながら、気の合う仲間との演奏が始まりました。演奏の合間には、もちろん淡麗グリーンラベル。そよ風や小鳥のさえずりと相まって美味しさはまた格別です。彼らのライブ告知のポスターの前では思わず鼻歌を歌ってしまう女性も。 」
(キリンビール“淡麗グリーンラベル”Websiteより)

ここで演奏されている曲は、チェコ民謡の 「Green Paradise」。
日本では、「おお牧場はみどり」という曲名で知られている。
撮影場所はニュージーランドのとある牧場で、出演者も同じくニュージーランドのインディーズシーンで活躍している「OPSHOP」というバンドらしい。

CMに流れる演奏は、中年から初老の音楽好きが、だれかに聞かせるというよりは、次なるイベントに向けて練習を楽しんでいるようだが、あえてその稚拙さもストーリーの雰囲気としている。
このCMに郷愁を感じ、ひきつけられるのは、私だけだろうか。
聞かせようとか、のせようとか、かっこつけようとか、(もちろんそれは大切なステージ上の要素なのだが、)まずは、自分たちがとっても演奏を楽しんでいる。
そして、それを見ている人たち、聞いている人たちも、とってもハッピーになる。
まさに、ここに、バンド活動の原点を省みたのです。

by くりんと   

Guitar Case 48

Guitar Case > 2004

“ラスト サムライ”&“たそがれ清兵衛”

 

遅ればせながら、『ラスト サムライ』を見た。
どうも賛否両論らしいが、ハリウッド製サムライ映画、時代考証・ロケ地・戦闘シーン・つじつま等々、つっこめばきりがないから批評の深入りはやめておこう。
(だいたいNHK大河ドラマだって、リアリティーに欠け、わたしゃあ見る気がしないのだから。)

さて、この映画を見て、ハリウッドが、あるいは世界的娯楽産業界が求めている、商品『JAPAN』とはどういうものか、その一端を知ることができた。
新渡戸稲造が100年ほど前に書いた「武士道」という、かつて存在したであろう日本人の精神性が、今もって西洋人にはうけるとみた。
「いかに生きるか」ではなく、「いかに死ぬか」。
もはや(現在の)日本人でさえ理解しにくいそうした哲学に、彼らは決して共感はしないだろうが、たいへんな好奇心をもっていることが想像できる。
そうした興味深い日本の武士道に、真田広之をもってきての殺陣(たて)、アクションを加えたわけだ。
カンフー映画がハリウッドに台頭したように、殺陣がハリウッドのアクション映画を席巻するだろうかと自問自答したが、やっぱり忍者の手も借りないとだめなようで、結局、なんもありのハリウッド製サムライ映画に落ち着いてしまった。

渡辺謙が助演男優賞で、今年のアカデミー賞にノミネートされたが、同じく外国映画部門でノミネートされた『たそがれ清兵衛』。
こちらも『トワイライト サムライ』という英訳で、なにかと『ラスト サムライ』と比較されるだろうが、こちらは西洋人にどううつったのか興味がある。
『たそがれ清兵衛』は、メイド・イン・ジャパンゆえ、時代劇としてのつっこみはほとんどなく、抵抗なしに見れるのだが、それはむしろハリウッド的面白味にかけるかもしれない。
両者は偶然にも、同じ幕末から明治初期を描いたサムライ映画だが、藩という封建組織の中で「いかに生きるか」を描いた『たそがれ清兵衛』に、私自身、リアリティーな「武士道」をみた。
そして、こちらの「武士道」なら、今も日本社会の中に残っている。

それゆえ、『たそがれ清兵衛』の映画の西洋人の評論が気になるところだが、興行的にお金を取れるのは、やはり『ラスト サムライ』。
ただ、助演女優賞には“小雪”に軍配を上げた。

by くりんと