Guitar Case 37

Guitar Case > 2002

ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争と平和」

ザ・フォーク・クルセダーズが再結成され、ニュー・アルバム「戦争と平和」をリリースした。
70〜80年代のグループがあいついで再結成されているなか、こちらは「レトロスペクティブな意味で復活させるということではなく、加藤和彦がきたやまおさむともう一度音楽を作ってみたい」ということがことの発端らしい。
そして、このたびは、はしだのりひこではなく、「触媒」として加藤・きたやま以上にフォークルを知るアルフィーの坂崎幸之助を迎えての新生ザ・フォーク・クルセダーズと相成った。(どうして、はしだのりひこではなかったんだろう?)
「作り手側も楽しみ聞く側も楽しめ、それで、ああ明日も又人生楽しいかな、と感じてくれるような、音楽自らが持っている浄化作用を生かしたような音楽をやりたくなった」と加藤自ら述べているが、前半の意図はねらい通りだと思う。

さて、私自身興味をもったのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に加藤がメロディーをつけた曲。

「戦争と平和」ザ・フォーク・クルセダーズ
 1)「芸術家、科学者、そして宗教家」
 2)「あの素晴らしい愛をもう一度」
 3)「11月3日(雨ニモマケズ)」
 4)「感謝」
 5)「Somos El Barco」
 6)「巌流島(The King of Three Fingers)」
 7)「ヨイトマケの唄」
 8)「あわて床屋」
 9)「今日の料理のテーマ」〜「鯨のステーキ・グリーン・ピース添え」
10)「ライカはローリング・ストーン」
11)「カオリ bT」
12)「悲しみは言葉にならない」
13)「花はどこへ行った」
14)「花」(すべての人の心に花を)
15)「白い色は恋人の色」
16)「平和について」
おまけ)「Mia Cara Simonetta(愛しのシモネッタ)」
もうひとつおまけに)「老人と子供のポルカ」(Diamond Head/Pipeline)
結び)「日本一の聞かせっパ男」

この手の趣向はさほど珍しく感じないが、し
かし、メロディーやアレンジは、さすが加藤和彦の本領が発揮され、数回聞いただけで口ずさんでしまう。
また、それとは逆に、キューピー3分クッキング(日本テレビ系)のテーマ曲をとりあげ、適当な鯨料理の歌詞をのせて某環境保護団体にもの申すあたりは、さすが脱優等生フォークルです。
「Where Have All The Flowers Gone ?(花はどこへ行った)」は、桶太鼓・楽鼓・締太鼓・長胴太鼓を使っての、まさかのエンヤトット・アレンジ?
などと興味は尽きない。

ところで、加藤和彦の「ヨイトマケの唄」。
こればかりは、どうしたんだろう。
まったくいただけない。
原曲のもつ力によって、何とか聞くに耐えうるが、この曲をとりあげ自らが歌う意図をうかがいたいものである。

かつてのように、「生き方」まで考えさせられる、変えさせられるとまではいかないが、作り手側の楽しさが聞き手側にも十分伝わってくる。
これがまず、音楽の原点なのかな。
しかし、「農作物に有機栽培、無農薬があるように、自然にあまり逆らわない方法で育てた音楽」をもって、「それで、ああ明日も又人生楽しいかな、と感じてくれるような音楽をやりたい」という願いまでは、残念ながら感じられなかった。
どうしても、フォークルの脱優等生体質によるテレが、少し過ぎたノリが、後半の意図を邪魔してしまう。
(それはそれでフォークルの大好きなところなんだが。)

そこで、その昨今の音楽業界に警鐘を鳴らすかっこいいコンセプト。
これは、私たちエンヤトット一座がいただきっ〜、ということに相成りました!

(参照Website The Folk Crusaders Official Site-ザ・フォーク・クルセダーズ )

by くりんと   

Guitar Case 36

Guitar Case > 2002

伊藤若冲と林英哲

伊藤若冲(1716〜1800)という江戸中期の画家がいる。
『動植綵絵(どうしょくさいえ)』という全三十幅に及ぶ花鳥画が、若冲終世の大作で、最も有名である。

彼の生涯が興味深い。
京都錦小路の青物問屋の家督を23歳で継ぐが、家業には興味を示さず、やがて相国寺の大典和尚と出会う。
和尚には、彼の人となりが、
「 学を好まず、字をまたせず、およそ百の技芸、一つももってする所無く、人の楽しむところ 一つももとむる所なく。」(『藤景和画記』より)
と写ったらしく、人付き合いを嫌い、生涯独身を通す。
彼が唯一(?)興味を示したものは、絵を描くこと。
狩野派に師事し宋元画の模写にあけくれるが、そのうち生き物に「神気」を見出すようになる。
そして、かの傑作の数々。
彼の絵には、神がかり的な繊細さと狂信的な観察力が支配し、もはや狩野派の画風の及ばないところとなる。(→右絵:南天雄鶏図)
 

さて、このたび、和太鼓ソリストの林英哲が、「若冲の翼」なる看板を掲げ、海外公演をうってでている。
若冲が飛べない鳥を多く描いているところに目を向け、その生き様を問わんと英哲が太鼓を打つ。
彼の絵は、むしろ、アメリカなど海外での評価が高いように聞くが、それをニューヨーカー相手に(少し前のBSライブ)、和太鼓で謎解くという演出は、なかなか出来過ぎている。
林英哲ともなると、数多くのスタッフやスポンサーが取り巻き、世界を視野に入れているだろうから、それなりに計算された企画かもしれない。
あるいは、彼自身の多彩さの表れなのかもしれない。

彼のそうした演出をどうこう言うつもりはない。
むしろ、他のジャンルの芸術家と向かい合いながら自分の音楽を表現しようするというプロ(?)の手法に、大いに勉強させてもらっている。
しかも、欧米人を相手に若冲、というところがなかなかしたたかである。
そういう私も、ぬかりなく“寅さん”(『寅さんのロックン・ロール』)をいただきましたが、未だ世界が見えませぬ...。

by くりんと   

Guitar Case 35

Guitar Case > 2002

本家:岡林信康のエンヤトット・ライブ

先日、奈良県大淀町で岡林信康の『歌祭り』コンサート(主催:なら・ヒューマンフェスティバル)を見た。
彼のコンサートは、たいへん久しぶりで、その後のエンヤトット進化に興味をもっていた。
内容はざっと、最近発売したベストコレクションCD『歌祭り』に収録されている曲が中心で、大きくは、彼自身のギターでの弾き語り曲と6人編成からなるエンヤトット・スタイルから構成されていた。
私が、興味をもっているのは後者のスタイルで、この時の編成を下に記してみた。

岡林信康 : ヴォーカル、アコスティック・ギター、ブルース・ハープ
平野  融 : 桶胴太鼓(担ぎ桶)
吉田  豊 : スルード、ジャンベ、チャンチキ
高橋希脩 : 津軽三味線、コーラス
佐藤英史 : 尺八、篠笛
美鵬成る駒 : 締太鼓、平太鼓、桶胴太鼓、コーラス

この日の見どころは、まず、美鵬成る駒さんのお囃子。
向かって右から、締太鼓・平太鼓・桶胴太鼓と据え置き、ご本人の見かけとは裏腹の迫力ある演奏。
お囃子というよりパーカッション奏者、ソロでも十分主張できる技術・表現力をお持ちである。
また、終始笑顔で、演奏と共にその魅力にも引きつけられた。

次に、おなじみスルードの吉田豊さん。
しかし、この日は、チャンチキのソロで聴かせた。
演奏技術というより、彼の年齢や人柄からくる味に魅せらたのかもしれない。
そう言えば、この人も終始笑顔を絶やさない。
そうした表情のリズムによっても、私たちは舞台の上へと引き込まれていく。

最近はチャンゴでないのか、この日は、担ぎ桶胴太鼓ではねていた平野融さん。
美鵬成る駒さんとの掛け合いは最高の見せ場で、器用なバチさばきは全く衰えていない。
和太鼓の演奏会でも、動きのある舞台ではよく使われている桶胴太鼓。
この日の彼の演奏を見て、あらためて欲しくなってきた。

あと、笛の佐藤英史さんや津軽三味線の高橋希脩さんらを加え、各パート充実した演奏者で整えられたエンヤトット・バックバンドは、まさにプロの集団。
これでうけないなら、あとはヴォーカルのせい...???
いやいや重大な失言をしてしまいましたが、「ここは岡林さん、ヴォーカルは若き後継者“エンヤトット一座”に任せて、あとはつんくや小室哲哉のようにプロデューサーとして、楽してがっぽり儲けるという手はいかがですか?」

by くりんと   

Guitar Case 34

Guitar Case > 2002

舞台ノ下ノ出演者

私たち日本人は、音楽ライブや演劇などのパフォーマンス出くわした時、心の内側でひどく感動したり、楽しくてたちまち気に入っても、外見上は平静を装い、「聴き入って」しまったり、「見入って」しまったりする傾向がある。
これが多くの西洋人だと、スタンディング・オベイションで迎えたり、気のきいたタイミングで声援・口笛などを発し、目に見えた形で好感度を表現する。(もちろん、ブーイングもあるだろうが。)
舞台下のお客からの反応がよければ、舞台上の演者は当然のってくるだろうし、こうした舞台上と舞台下とのキャッチボールによって、ライブは盛り上がる。

こうした傾向を知ってか知らずか、例えば、「楽しかった、また来よう!」などと錯覚を抱いてでも帰ってもらわなければならない、テレビのバラエティー公開番組やUSJのアトラクションなどでは、前もって拍手のタイミングやリアクションの訓練を客に仕向ける。
日本人の場合、このようなちょっとした前説によって、画一的なノリなら上手に発せられるものらしい。
したがって、甲子園の阪神タイガースの応援なら、だれもがすぐに参加できる。
また、クラッシクバレーなどという、日本人にとってはさらにリアクションの示しにくい舞台では、客席に、気のきいたところで「ブラボー!」と発するサクラを仕込んでおくとも聞いた。
こうしたことで、ホールやライブ会場のムードはがらっと変わる。

すでに、追っかけがついているようなロックバンドや歌舞伎役者の場合、そういう苦労の必要はない。
練習を仕向けなくても、ここぞというところで応援団が勝手に盛り上がるし、ここぞというところで「成駒屋!」と合いの手が入る。
そうしたファンは、そうした参加の形を楽しみに舞台に足を運ぶのだろう。
比較的聴き入りがちな(シャイな)私などは、そうした追っかけ組みの行動に触発されてから、やっと参加するタイミングや方法を得る。
聴衆は、舞台の上の演者からのみ興奮を得るのでなく、舞台下の過剰反応聴衆組からも、同じくらい興奮を得るものである。
このように、舞台の下にも出演者はいるし、いなければ作るものらしい。
舞台の上と下の両方の出演者によって、ライブは成り立つ。
「ノラぬなら ノラせてみせよう 日本人!」

by くりんと   

Guitar Case 33

Guitar Case > 2002

エイサーと篠原踊り


沖縄のエイサー


奈良県大塔村の篠原踊り


奈良県大塔村篠原地区に、古来より伝承されている「篠原踊り」がある。
それが不思議と、はるか海の向こう沖縄の「エイサー」とどこか似ている。
上写真のように、衣装は全く対照的なのだが、ともに、締太鼓をもった男踊りがある。
また、それに合わせた女踊りもある。
リズムも4拍子で、似てなくはない。

ただ、かたや「エイサー」は、青年団を中心に発展し、沖縄のあちこちでそれ用のお祭が催されているのに対し、「篠原踊り」は、奈良県より無形文化財の指定こそ受けているが、村の外では、その存在さえ知る人も少ない。
また、山村の過疎集落ゆえ、男踊りの後継者が見当たらず(現在2名)、室町以来の歴史を有すとも言われるこの踊りは、存続の危機にさえ瀕している。
一見似ていると思われたこの両者の芸能には、対照的な現状がとりまいている。
では、その違いは何だろうか?

長らく私の中で疑問に思ってきたことだが、最近、両者を間近で見聞きする機会があり、私なりの一考察を覚えた。
まず、「エイサー」は、旧盆に先祖を供養する仏事であり、いわゆる盆踊りと考えられる。
よって、だれもが自由に参加できる形をとり、様々なアレンジの施された多種多様な踊りに発展している。
一方、「篠原踊り」は旧正月に行う神事で、神に奉納する踊りである。
一部の踊りは、他所で踊るのは御法度とされ、神の前では正装、だれもが自由に参加できるものではなく、かたくなな伝承芸となっている。

もうお解かりであろう。
「エイサー」が大衆に迎合的な踊り(そう言えば、もとは踊念仏から始まったらしい)なのに対し、「篠原踊り」は非常に偏狭でコア、おのずと、両者の未来は対照的なものとなる。
しかし、この偏狭でコアな踊りが、少なくともこれまでは、吉野の辺境の地で、500年以上も受け継がれてきたのだから、この歴史に限っては「エイサー」となんら遜色ない。
しかし、最後のニホンオオカミが吉野の山で息絶えていったように、伝承芸能の存続には、それを育む環境の不変が前提となるようだ。

by くりんと   

Guitar Case 32

Guitar Case > 2002

大きな古時計♪

平井堅の『大きな古時計』が、ヒットチャートの1位をキープしている。(2002年9月末現在)
プロのミュージシャンが、スタンダード曲をカバーしているケースは多いが、この『大きな古時計』を聴いて目からうろこ、余興という域を超え、このたび、この曲によって平井堅の魅力を知ることとなった。
島谷ひとみが、ヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』を歌ってヒットした例も記憶に新しい。
あと、がらっと肌色は変わり、上々颱風が『Let It Be』や『My Girl』のカバーでライブを盛り上げたり、おおたか静流の『ゴンドラの唄』に心奪われたりと、カバー曲にも捨てがたい魅力がある。

だれもが耳に焼き付いているその曲のアレンジやリズムを拭い去り、スタンダード・ナンバーを自分のものとして演じるには、かなりの力(編曲力・演奏力・歌唱力・キャラクター等)が必要と思われる。
しかし、カバー曲によって、素材曲の認知度を利用しながら、そのアーティストの才能や指向がよりよく表現される機会とするならば、例えばライブなどでは、オリジナル曲一辺倒にこだわる必要はない。
メガ・ヒット(代表曲)が1曲でもあれば、勝手知らない土地のライブでも、ある種の満腹感を置いて帰ることができるが、そうでない場合、カバー曲によってライブを組み立てていくのも1つの手法である。
実際、上々颱風のライブでは、聴衆の距離感をしばし保つのに、また、ここでのせたいという時に、先の曲などが使われている。
私自身、木村充揮の歌う『君といつまでも』を聴きたいがために、憂歌団(現在、活動休止中)のライブに何度足を運んだことだろう。

ここだけの話だが、私、越地吹雪のちょっとしたファン。
このたび、『ラスト・ダンスを私に』(原曲は、The Driftersの"Save the last dance for me")のカバーで、一山あてようと密かにもくろんでいる。
一座のみなさん、い・か・が...?

by くりんと   

Guitar Case 31

Guitar Case > 2002

わが心の太田裕美

産休や育休を終えた往年のアイドルや女性シンガーたちの中に、ちらほらと職場復帰をなしとげている姿がある。
松田聖子や安室奈美江などは、そうした休職のブランクを感じさせないが、子育てや主婦に一区切りをつけたあと(?)、再び芸能界に仕事場を求めた堀ちえみや森昌子の姿もある。

1ヶ月ほど前、太田裕美の姿をステージ上で見た。
彼女の活動は興味深く、以前も吉田拓郎や伊勢正三、大滝詠一などニューミュージック系の歌手に曲を提供してもらっていたが、最近では、フォーク歌手故西岡恭蔵との共演も見られた。
そしてこの度は、憂歌団のヴォーカル木村充揮プロデュース下の出演。
木村充揮、有山じゅんじと泥臭いステージに続いて太田裕美が登場。
なんばHATCHのホールが、白昼の明るさに転じた空気に変わる。
なんだろうこの彼女のハナは?
「アイドルを見た興奮?」
「甘いヴォーカル?」
「くずさない笑顔?」
それとも、かつてブラウン管で学習してきたゆえの私の条件反射なのかもしれない。
最大の見せ場は、木村充揮とのジョイントで『赤いハイヒール』を歌う場面。
有山じゅんじの軽妙なギターに合わせて、「そばかすお嬢さん〜」のサビから木村が合わせる。
お酒がまわっているのかこれも芸のうちなのか、木村の野獣声と太田裕美の美女声のミスマッチが、とにかく絶妙だった。

太田裕美が言う。
「どうして私が、木村さんからこのステージに呼ばれたのかわからない?」
BEGINの
比嘉栄昇(共演)がつっこむ。
「どうして太田裕美さんが、出演をOKしたのかわからない?」
太田裕美には、今後も、わからないままこの手の舞台に立って、「花」ではなく「華」を咲かせてほしい。

by くりんと   

Guitar Case 30

Guitar Case > 2002

ライブ後のライブ

この夏、2つのライブを終えた。
毎回のことだが、主催者及びスタッフの方々には、頭の下がる思いである。
会場準備、チケット販売、当日の運営・進行、私どもの食事や宿の世話などなど...。
それに対して、私たちが応えうる形は、去年以上のステージを心がけることだと、練習にも気もちが入る。
今回も、これまでになく、十分な練習時間をもって臨んだライブだが、そこは文字通りライブ(生もの、生きもの)。
ほとんどが初めてお会いするという聴衆の方々との一戦に、その場ならではの、はりつめた時間と空間が待ち構えている。
私などは、その種の出会いと緊張感がたまらなく快感であり楽しみでもあるのだが、時には逆風となって足元がふらつく時もある。
練習だけではクリアできない、立ち合いである。

そうした一戦のあと、このたび島根県広瀬町幸盛際のライブでも、交流会と称して、さらに労をねぎらっていただくことになった。
実は、こうした打ち上げも、私どもの楽しみにしていること、大切にしていること、もう一つののライブと考えている。
音楽という芸を通して、見知らぬ土地の方々とさらなる交流を深めることができるというのは、バンド活動冥利に尽きるし、むしろ、望むところである。
今回広瀬町では、本番の熱演もさることながら、ライブの後のライブに、練習の成果が出た模様???

by くりんと 
 


富田山荘より広瀬町遠景

松之介師匠?いや山崎さん

こちらの地酒は「月山」

交通安全運動中?の彼

イェ〜!この後、からまれる

日・米の Paul McCartney?

このたて看板がうれしい

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