Guitar Case 12

Guitar Case > 2001

ええぞ!都はるみ

ブラウン管で都はるみが歌っていると、手を止め、足を止め、気になるこの頃である。
一時期、活動を中止(引退?)していた時期があったが、復帰後の都はるみがおもしろい。
つい先日も、BS−1で、ワンマンショーみたいな番組をやっていたが、スタジオところ狭しと駆け回り、カメラが必死に追いかけているかと思えば、チャンチキを持ったバックミュージシャンと楽しげに絡んでいる。
有名な演出家や振付師がついているのだろうか、確かに他の演歌歌手とは違っておもしろい。
芸は異なるが、体全体で表現した桂枝雀の落語を彷彿とさせる。

そうなってくると、「アンコ椿は恋の花」や「あら見てたのね」というはるみ初期のド演歌も、すっかりハレあがり、”日本のロックン・ロール”となって大いに楽しませてくれる。
枝雀の落語同様、邪道だと賛否両論があるかもしれないが、今流行の坂本冬美をはじめとする若手演歌4人衆よりは断然おもしろい。
また、私ミュージシャンの端くれとして、ジャンルは違えど大いに勉強させてもらっている。
「はるみ節は苦手だ」とは言わないで、是非「舞台(ステージ)」として試聴してはいかがかな?

by くりんと 

Guitar Case 11

Guitar Case > 2001

イチローよりも宇多田ヒカル

今年の長者番付(高額納税者)が発表された。
あらためて、右表のように比較してみると、歌手とりわけシンガーソングライター系の稼ぎがめざましい。

日本一の好打者イチローの実力と実績を持ちメジャー・リーグでの華々しい活躍をもってしても、ついこの前出てきた10代の女性歌手たちの稼ぎがまさるというのだから、ミュージシャンというのは、当たればぼろい商売である。
もう一つ言わせてもらうなら、ストリート出身のゆず。
彼らの非凡な才能は認めるところだが、それでもTVに出まくっているさんまやタモリより稼いでいるのだから、全国ストリートたちには身近なドリームとしてうつるだろう。

同じ音楽でも、クラッシックは金にならないし、演歌は苦労が多そう。
野球選手は高校から競争が激しいし、Jリーガーは選手寿命が短い。
いずれの分野も才能と努力と運を持ち合わせての話だが、それにしてもミュージシャンという職業が、”金儲け”に絞っていうなら、一番近

名 前

職 業

納税額(万円)

 稲葉  浩(B’s) 歌 手 28,503
 松本 孝弘(B’s)  28,155
 石橋貴明(とんねるず) タレント 28,113
  浜崎あゆみ 歌 手 23,985
  宇多田ヒカル 22,372
 木梨憲武(とんねるず) タレント 21,212
 青山  剛昌 漫画家 20,800
 秋元    康 作詞家 19,794
 イチロー 大リーグ 19,537
 松阪  大輔 西 武 18,888
 松井  秀喜 巨 人 16,637
 天童よしみ 歌 手 16,387
 高橋留美子 漫画家 15,103
  つんく 歌  手 14,230
     
 薗部  博之 ゲーム作家 10,912
 堀井  雄二 10,750
  ビートたけし タレント 10,394
     
 北川  悠仁(ゆず) 歌 手 8,568
 古田  敦也 ヤクルト 8,565
 倉木  麻衣 歌 手 8,170
 久保  琢郎(GLAY) 8,063
 明石家さんま タレント 7,246
 タモリ 7,223
 木村 拓哉(SMAP) 俳 優 6,469

道だと思えるのは私だけだろうか。
私自身は2匹目の「孫」(今年は、印税がすごかったらしい)をねらいながら、息子にはYoshiki(元X-Japan)をめざさせることに、決めたっと!

by くりんと 

Guitar Case 10

Guitar Case > 2001

続・河島英五氏に捧ぐ

上方落語が好きで、桂枝雀や南光をひいきにしていたが、以前、南光さんの独演会を聴きにいった際、パンフに河島英五さんのコメントが紹介されていた。
内容は、南光さんの「ちりとてちん」を聴いて、無性に茶碗蒸を食べたくなリ、我慢しきれず帰り道食べに寄った、という具合の話だったと記憶しているが、この時、両者の関係が私の中で確かに結びついた。

しばらくして、私が尊敬する岡林信康氏のコンサートを聴きに御堂筋会館へ行った時、南光さん(当時は、べかこ)からの花輪が届けられているのにハッとし、ロビーの一角で南光さんがパンを食らっていたのを見て二度びっくりした。
ここでもまた、私の中で、点と点が結びついた。

ちなみに、枝雀さんと河島さんとは、NHKの朝ドラ「ふたりっ子」で共演している。

はたして、岡林さんと河島さんとの間にも、交遊があったかどうかは私の知らないところだが、こうして地下茎のように、私の憧れたエンターテイナーたちがつながっていることに、とても熱くなったことを思い出す。
よくよく考えてみれば、彼らはみな関西人で、京阪神を拠点に活動しているという共通点もあるのだが、それとも、南光さんと私が似たもの同士というだけのことだろうか。

私の憶測では、岡林さんと河島さんとの間には、ほとんど接点がないだろうと考えるが、共に「どう生きるんだ?」ということを問い掛けてくれた稀有なミュージシャンである。
枝雀さんだって、落語という表現手段で、やはりこの世の味わい方を示してくれた。
偶然というよりも必然的に、彼らに出会ったのかもしれない。

そのうち、今度は、私が若輩たちに示す番?
どうやって?
なにを?
どうやら、そういう歳が近づきつつある。

by くりんと 

Guitar Case 9

Guitar Case > 2001

追悼・河島英五氏に捧ぐ

4月16日、雅子さま御懐妊のニュースのかげで、「河島英五さん死去」のニュースが短く報道された。
死因は肝硬変とも流れているが、今年2月から体調を崩していたらしい。
未だ48歳。

ニュースなどでは、「酒と泪と男と女」などで知られるシンガーソングライター、という紹介がほとんどだろうが、私にとっては、少し思い入れが違う。
1975年にファーストアルバム「人類」(その中の「酒と泪と男と女」が後に大ヒット)を発表し、その後ホモ・サピエンスを解散した彼は、77年よりアフガニスタン、ペルー、トルコ、ネパールと旅を続け、80年にその旅の集大成であるアルバム「文明T・U・V」を発表する。
ラブ・ソング一辺倒の日本ポップス界にあって、いわゆる途上国の旅の中で見つけ出合った「人間としての生き方」を題材にしたこのアルバムは、宮沢りえのポカリスエットのように20代の私の乾いた喉を癒してくれた。
そして、「こういう歌なら、俺にも作れる」と、私を導いてくれたミュージシャンの一人である。

もう一つ、比叡山が1200年を迎えたという記念コンサートに、加山雄三や南こうせつらと共演していた映像が忘れられない。
その時は、日本のある山に40日間こもりながら呪文のように生まれてきた「心から心へ」という曲を歌った。
1200年の歴史漂う比叡の森が、徐々に陽をおとし黄昏ていくなかで、この歌が観音様のように舞い降りてくる錯覚を感じたことが、今も新鮮な記憶として残っている。
フルコーラスで30分もあるというこの曲を、その後も追いかけているのだが、どこにどのアルバムに収録されているのか未だわからず、また、他のコンサートでも耳にしていない。(どなたか、この曲の詳細を御存知でしたらご一報を!)

「酒と泪と男と女」のイメージが強いせいか、その後も、酒をモチーフにした「時代おくれ」や「野風僧」がヒットしてNHK紅白歌手の地位も築いた。
しかし、私にとっては、アコスティックギター一本で、旧阪急ファイブのオレンジホールで歌っていた河島英五こそが、兄貴であり師匠である。
「100年たったら天国で会おうよ」なんて、早すぎるぜ...。

P.S. 私の河島英五ベスト5
    
♪ ベナレスの車引き
    ♪ 何かいいことないかな
    ♪ 心から心へ
    ♪ 出発
    ♪ 風になれ

by くりんと 

Guitar Case 8

Guitar Case > 2001

This is the Japanese love song "炭鉱節"

まずは、福岡県民謡「炭鉱節」の一節を。

   月が出た出た月が出た(アヨイヨイ)  三池炭鉱の上に出た
   あんまり煙突が高いので  さぞやお月さん煙たかろう(サノヨイヨイ)

   あなたがその気で言うのなら(アヨイヨイ)  思い切ります別れます
   もとの娘の十八に  かえしてくれたら別れます(サノヨイヨイ)

私見だが、この歌はそんなに古いものではなく、「炭鉱節」というぐらいだから、石炭の需要が増える明治末から大正以降に作られたものだろう。
歌詞は、各地域で多様に変化して歌われており、上記の引用詞が必ずしも一般的ではないかもしれない。
というより、後段はお座敷の端唄・小唄に、よく唄われていそうな詞の文句である。

私が気に入ったのは、その後段の詞で、ある程度年月のたった夫婦のやり取りが想像される。
その女性側の「もとの娘の十八にかえしてくれたら」などという切り替えしに、男は見事一本とられたさまで、長年の生活の中で、女がうまく男を手玉に取っている夫婦愛(?)が、この1行に端的に凝縮されていている。
それだけに、やはり、お座敷などで繰り返し歌われ、洗練された一字一句がこの曲に引用された、という推測はまんだらでないかもしれない。

演歌でよく歌われる男女だと、こうはいかないんだなあ。
「あなた変わりはないですか。日ごと寒さがつのります。着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて編んでます。」
と、たいがい女性側に歩が悪い。(この歌の場合、夫婦でないかもしれないが。)
また、もっと若い今どきの男女なら、
「あれからぼくたちは、何かを信じてこれたかなぁ。夜空のむこうには、明日がもう待っている。」
などと、やはりここでも、男がとらえどころのない言葉で自分の哲学をつぶやくが、女の存在はこれ以降も見えてこない。

こうして歌の文句を比較すると、男女雇用機会均等法が施行されて久しい今の日本に比べて、かつての封建制度が色濃い時代の女性の方がたくましいのは、皮肉な話である。
男女が対等な、民主的な Love Song の復活を期待したいものである。

by くりんと 

Guitar Case 7

Guitar Case > 2001

プロの芸とは

プロフェッショナルとは、私どものジャンルで言うと、その歌、その演奏、その芸が、「商品」となりうるかどうかだと思う。
もっと、俗っぽく言うと、それが金になるかどうか、それで人を呼べるかどうかということ。
新聞や雑誌、テレビなどのマスコミに取り上げられたからといって、錯覚してはいけない。
それは話題性があるだけのことで、実力がなければ、その話題も、人もすぐ立ち消えとなる。

実力という話になると、落語家の桂文珍さんが、確かこんなことを言っていた。
「落語家には4通りいて、うまくておもしろい人、へたやけけどおもしろい人、うまいけどおもしろくない人、へたやしおもしくない人に分類できる。」と言う。
この文珍さんの言う「うまさ」や「おもしろさ」が、商品となりうるわけだが、なかなか両方兼ね備えることは難しい。

華がある、カリスマ性がある、話題性がある、男前・美人など、こうした「おもしろさ」は、本来、実力に付随した+αの部分である。
しかし、昨今、その+αの部分を持ち合わせていたほうが、世に出やすいかもしれない。
ブラウン管などを通して、伝わりやすいのは、また、商品になりやすいのは、「うまさ」よりも「おもしろさ」だからである。
ただ、一発屋というケースもたくさんある。
「うまさ」という実力がないと、すぐ飽きられ、見透かされてしまう。
要するに、「おもしろさ」に、確かな実力の裏づけがあってこそ、息長く芸を磨き、また食べていくことができるのである。

私どものバンドは、メンバーがそれぞれ職業を持ちながら活動を続けている。
ともすると学芸会の延長線上に軟着陸する危険もはらんでいる。(実際、未だ離陸していないという厳しい声も?)
「うまいバンドなんて五万といる。それなら、おもしろさ、オリジナルさを前面に押し出して・・・」などと、つい芸の修行を怠り、うまくもない、おもしろくもないバンドの落とし穴にもはまりかねない。
私どもの芸に、お金という代価など求めていないが(これもよしわるしで、大いに甘えになっている)、身を乗り出して拍手していただけるプロの芸を、未だ求めてやまないこの頃である。

by くりんと 

Guitar Case 6

Guitar Case > 2001

成人式に出演

今や社会的な問題ともなってる自治体主催の成人式。
わが一座も3年前、地元教育委員会の依頼を受けて出演した。
地域密着型のバンドを目指すわが一座にとっては、未来を担う若人の前で演奏できるなんて、この上ない光栄。
こちらの市でも、近年、式典中の私語や、来ても会場内に入らない新成人など、その運営に頭を痛めているようで、式典の時間は1時間と短縮し、その冒頭に鳴り物を持って来て会場に誘い込む企画とのことだった。
そして、わが一座はその鳴り物にと御指名を頂戴した。

時間は15分。
この日は、「寅さんのロックンロール」「大和五條の空の下」など3曲を用意した。
こうした場での演奏は選曲が肝心で、たかだか15分、しかも鳴り物のポジションで、詞を聴かせようなどという大それた考えを持ってはいけない。
できるだけリズムのある曲で、「おっ、なかなかやるやん。どこのバンド?」と興味・関心を抱いてもらえば十分。
準備万端、自信作を引っさげての幕開けであった。

そして、演奏を終えて・・・・。
私ども反省の弁。
「寅さんのロックンロールは、うまいこといったんやけどなあ。」
「この際、聴かせる曲はいらんということを重々承知していたのに、色気出してバラードを入れてしもたのが失敗やった。」
「リズム&ブルースがバラードに変わったとたん、彼らは懐かしい友との会話を優先しだした。」

それでも、企画としては成功で、音が出たとたんロビーから会場に人が流れ、演奏にも結構興味を示し(彼らの視線で感じる)、15はすぐたった。
式典としては、それからが問題だったらしい。
会場が一番静かだったのは私たちの演奏のときで、それ以降、さすがにクラッカーを鳴らすものはいなかったらしいが、次第に私語が蔓延していったと聞いている。

機会があれば、またチャレンジしたいと私どもは無責任に考えているが、式運営の当事者にとっては、年々深刻な問題のようだ。
その後の成人式は知らないが、毎年、鳴り物を入れ替える程度でこと足りているのだろうか。
新成人たちが集まる理由は、久しぶりの友との再会を楽しみにやってくるわけで、おじさんたちのつまらない紋切り型の話によってお預けをくわせられる身になれば、私語も少しは理解はできる。
それでも、以前は成人らしく(?)我慢して話を聞いた。
それを我慢できなくなったのは、今さらの話でないとも思う。
おそらく、一部の報道に見られる派手なパフォーマンスの彼ら・彼女らは、中学校や高校の卒業式の時などにも、形をかえた、非社会的な自己主張をやっていたのではないだろうか。
その都度その都度ブレーキがかからなくて、またまわりもブレーキがかけられなくて、あのように花開いたと考える。

と、ついつい音楽談議とは異なった方向に話が向いてしまったが、話は戻って、
成人式主催者殿、”エンヤトット一座”は、次なる式も華麗にお努め申します。
よろしくごひいきに!

by くりんと 

Guitar Case 5

Guitar Case > 2001

70・80年代のバンドが続々と再結成、そんな中

世紀末・ミレニアム・新世紀という節目が、おじさんたちを勢いづかせているのか、かつて70〜80年代をリードしたバンドがあいついで再結成している。
私もかすっている世代なので、少しは気になって復活ライブなるものをテレビで見る。
メンバーが再び集う場面を一目見たさに、また、その頃の自分が懐かしくて、ついその手の再結成ライブを見てしまうんだなあ。
この手の番組、1曲か2曲を歌うまではいいんだが、そこからはたいがい飽きてくる。
再結成したという話題性に引っぱられただけで、音楽的には何も新しいプレゼントはないわけだ。
後は、ワイドショー感覚で、アリスの矢沢透などは、今何をしてるのだろうと勘ぐるぐらいである。

そんな中、BSでやっていた南こうせつ・伊勢正三・山田パンダ3人の”かぐや姫”再結成ライブは、ある種の元気をもらった。
前2人は、今も一線で活躍するミュージシャンだが、「ぼくの胸でお休み」を作った山田パンダさんは、ブラウン管からは御無沙汰である。
番組によると、音楽への未練を断ち(?)、現在保育園の保父さんをしているらしい。
そうした場で、第2の生きがいを見いだしたかに見えるパンダさんは、突然の誘いに、十数年ぶり、あのウッド・ベースを取り出し、舞台に立った。
その後、3人での復活ライブを何度か共演しているようだが、この日のライブからも、うれしくうれしくてたまらない彼の興奮が伝わってくる。
十数年のブランクもあってか、決してプロ(上手)とは言えない歌声だが、音楽を、バンドを、かつての仲間ともう一度やれる喜びをかみ締めながら刻む彼のリズムや笑顔はこちらまで幸せにしてくれた。

「バンドでやる音楽というのは、これだな!」
詞で、メロディーで、人を幸せにすることができれば本望だが、楽器で、声で、それも持ち合わせていないのなら、笑顔で、生き方で人を楽しませるということも、そうしたミュージシャンもOKじゃないか。
それには、プロも素人もない。
あらためて音楽をやるエネルギーが、じわじわと湧いてきた。
そこらへんの高校生には負けへんぞ!

by くりんと