この夏、エンヤトット一座のライブで、島根県の広瀬町という町を訪れた。
人口9600人、松江市から車で30〜40分の農村である。
歴史的には、12〜13世紀ごろより、尼子氏によってひらかれた城下町であるが、その繁栄は、江戸時代のお城の移築によって、松江にとって代わることとなる。
今回のライブは、そうした町の歴史を大切になさっている尼子太鼓のみなさんの尽力によって実現したもので、当日は150名近くの町民の方々にお越しいただくこととなった。
私どもが、初めての土地を訪れた際に、一番気になるのは来ていただいた方の年齢層だが、こちらでは老若男女というか、比較的平均年齢が高かったように思う。
普段は、20〜40代の方を対象にしたライブが多い中、この日はうまく受け入られるどうかという不安もあった。
しかし、いざライブが始まると、そうした心配はよそに、数曲目にはノリノリの手応えを感じた。
「大和五條の空の下」では、尼子太鼓の方にも締め太鼓で参加していただき、主催者の意図する島根と奈良の文化交流もにわかに実現したかと思う。
そして、ライブのあとは、今回のステージに汗を流していただいた方との大切な懇親会。
実は、ここまでが我々のライブであって、地元の方と杯を交わし話を交わし労をねぎらいながら、本日の通知表をいただくのである。
こうした席での我々への賛辞は、7割減にして聴く謙虚さを持ち合わせているつもりだが、意外にや、50〜60代の方々からの反応が好ましいものであった。
「ロックというもの、バンドというものを、生れて初めて生で聴いた。今まで、うるさいとしか思わなかったこの種の音楽が、こんなに楽しいものだとは知らなかった。感動した。」
要約すればこうした声が、そうした年代の方々からの反応である。
そう言われれば、私どもにも心当たりはある。
1つは、我々が目指している音楽性に、老若男女を問わない(つもりの)受け皿があるということ。
確かにエンヤトット一座の音楽は、今どきのロックにとっては縁遠い年代の方々との、橋渡しの役割を果たすことができるのかもしれない。
もう1つは、地域性。
広瀬町の方々も、松江まで行けばそうしたプロのステージにも触れることができるはずなのだが、その手の情報に常にアンテナを張って、わざわざお金を出して見に行くという環境や習慣が、やはりある年代の方には身近でないのかもしれない。
とするならば、「宅配のピザなら食べてみようか」という窓口の広さが、年齢を問わず受けているように、「音楽の宅配」という我々のフットワークの軽さによって、こうした町のそうした年代の方々と、ロックというコミュニケーションを取り合うことができるのかもしれない。
エンヤトット一座の新境地、ここにあり!
by くりんと
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