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崩れゆく準平原最前線「大蛇ー」

 

中ノ滝(西大台)

紀伊山地のグランドキャニオン
 緩やかな起伏が続く台地で、周囲を急峻な崖で囲まれている地形を「隆起準平原」と呼び、大台ヶ原山はこの隆起準平原である。河川の侵食による地形輪廻は、幼年期→壮年期→老年期→準平原と変化していくが、大台ヶ原山は「幼年期→壮年期」への途上である。
 大蛇ー付近はその隆起準平原の西端にあたり、東ノ川の谷底に向けて一気に800mもの高度を下げる珍しい岩稜である。ここは伯母谷川コンプレックスの硬い砂岩でできているが、年間平均降水量4800mmもの雨がもたらす谷頭浸食により、この紀伊山地版グランドキャニオンが形成されたのである。地質学的な時間のスケールでみると、ここはまさに大台ヶ原準平原が崩れ落ちていく最前線ということもできる。
 また、大蛇ーに立つと、遠方に大峰山系が見え、山上ヶ岳で標高1700m付近、弥山で標高1800m付近に比較的平坦な地形が広がっている。これらは大台ヶ原の隆起準平原面とほぼ同じ面と考えられ、その間の国道169号線が走る谷などは、やはり谷頭浸食によるものである。

日出ヶ岳山頂のチャート・大蛇ーの砂岩
 地球で起こる地殻変動は「プレートテクトニクス説」で説明されるのが今や一般的であり、日本列島近海では、海洋プレートが大陸プレートの下に沈みこんでいく。この際、海洋プレート上の堆積物は剥ぎ取られ、陸側プレートに付け加わって大陸プレート側の一部になったものを「付加体」 という。3億年の間、アジア大陸のへりに太平洋に向かって成長した付加体が、のちの日本列島である。
 大峰山・大台ヶ原の地層は、大きく秩父帯と四万十帯に分かれ、それぞれの形成時期には約8000万年の差がある。さらにその二つの地層は10のコンプレックス(付加帯における数種類の堆積物が含まれた地層)に区分され、古い時代に形成されたコンプレックスほど上に位置する。これは、先に付加したコンプレックスの下に、次々と新しいコン


伯母谷川コンプレックスの大蛇ーは砂岩

プレックスがくさびを打ち込むように付加されたからである。(※下図参照)地層の年代を決める手がかりは、これまでアンモナイトや三葉虫などの示準化石が有名であったが、放散虫という単細胞生物の化石研究が進み、今やこちらが大きな役割を果たしている。
 大台ヶ原では、東大台から西大台にかけて四万十帯の伯母谷川コンプレックスが露出しており、上道や中道から大蛇ーにかけてほとんど砂岩である。ところが日出ヶ岳山頂から三津河落山にかけては秩父帯の大普賢コンプレックスがのっており、日出ヶ岳山頂にとりつく木製階段あたりに8000万年もの年代差がある地層の境界線(大峯−大台スラスト)がある。残念ながら目視はできないが、テラス周辺に転がる砂岩と山頂付近のチャートとは明らかにその違いを判別することができる。いずれもかつて海洋プレートの上にのっかって運ばれ隆起したものであり、山頂のチャート層の方が8000万年ほど古いという地球の歴史をイメージしてみてはどうだろうか。

 
  形成時期 コンプレックス 地質  主な山頂

  領家変成帯   花崗岩 金剛山・高見山
  三波川変成帯      
  秩父帯 三之公C 砂岩・(礫岩) 吉野山
  北股川C    
  奥玉谷C    
  黒石C 砂岩 白鬚岳
ジュラ紀新生中期 大普賢C チャート−砕屑岩層 日出ヶ岳・大普賢岳
山上ヶ岳(西の覗)・国見岳
  山葵谷C 緑色岩・石灰岩 鍾乳洞(洞川・川上)
  大迫C    
白亜紀新生前期 四万十帯 伯母谷川C 砂岩 仏教ヶ岳・大蛇ー
  赤滝C 砂岩・緑色岩・赤色泥岩 辻堂山
  槙尾C    
新生代新第三紀
中新世前期
稲村ヶ岳礫岩層   礫岩・安山岩岩脈 稲村ヶ岳

【石灰岩】
 ○火山島にできたサンゴ礁。
 ○紀伊山地の鍾乳洞は、すべて山葵谷コンプレックス上のもの。
【チャート】
 ○放散虫化石が遠洋域の深海底でたまったもの。
 ○大陸から運ばれてくる礫や砂岩は一切含まれず、チャートだけが休みなくたまって層状チャートを形成。
 ○100mの厚さがたまるのに6000万年以上(1000年間で1.7mm)。
 ○厚さ2〜3cmのチャート層と1mm程度の粘土岩層とのリズミカルな積み重なりは、放散虫の大繁殖が数万年周期で起こったせいという説がある。
 ○紀伊山地に見られる「覗(のぞき)」と名のついた崖は、たいていチャートという堆積岩。
【砂岩・礫岩・泥岩】
 ○大陸から土石流が流れ込んだもの。

 
山頂に向かう階段の途上に、
(目視はできないが)砂岩とチャート層の境界線があるはず
  日出ヶ岳山頂付近のチャート層(秩父帯)
厚さ2〜3cm間隔の層が重なっているのが特徴

1500万年前の大台ヶ原山巨大噴火
 現在の台高山脈の地下深くに生まれつつあったマグマは、やがて地上近くまで登り始める。その頃二上山などでも火山活動が始まり、それと足並みをそろえるかのように大台ヶ原山周辺から巨大噴火が始まるのである。今から1500万年前のことで、噴出した火砕流は大和高原や奈良市・大阪東南部まで達した。曽爾村の屏風岩や兜岩は、溶結凝灰岩などを含む室生火砕流堆積物と呼ばれ、この巨大噴火時の火山灰が火砕流となって山と高原を埋め尽くした時のものである。
 この巨大噴火の痕跡を、現在の大台ヶ原周辺で捜してはみるものの、溶岩や凝灰岩層はみつからない。しかし、中奥川(川上村)や蓮川奥ノ平谷仙人滝(松阪市)、大台ヶ原ドライブウェイ上などで火砕岩岩脈が見つかり、割れ目噴火がリング上に連なって起こったということがわかってきた。さらに、リング状の火砕岩岩脈群の内側の岩盤は、外側に比べて500〜600m以上陥没しており、「大台カルデラ(コールドロン)」が形成されたのである。
 現在、日出ヶ岳山頂に立ち360度見渡してみても、その外輪山は侵食をうけ「大台カルデラ」のイメージはつかみにくい。せめて、断片的に残る火砕岩岩脈を訪れ、巨大噴火に触れてみてはどうだろうか。

【参考文献】大峰山・大台ヶ原山−自然のおいたちと人々のいとなみ−大和大峯研究グループ著/築地書館

 
鎧岩(曽爾村)も大台ヶ原噴火による凝灰岩 が浸食されたもの。何層にも見えるのは、複数回の大爆発があったゆえと考えられる。
赤色の破線が大台ケ原カルデラの跡と推定される   鎧岩の凝灰岩