Field Guide
                         くりんとのフィールドノート

           
   
 大和三山(香久山)の今

藤原宮跡より香久山遠望

大和三山とは、畝傍山、耳成山、香久山。万葉集をはじめ、歴史に名高いその三山も、地元に人にとっては身近な里山の1つでもある。
 そもそも里山は、少し前まで薪炭の利用や農用の腐葉土供給地として、人々が深く関わり維持されてきたわけだが、最近では、人が入ることも少なくなって放置され、さまざまな「荒れ」が報告されている。人が手をつけない放置こそまさに「自然の山」だという考え方は、里山の維持という観点から見るとあてはまらない。奈良盆地では、その気候から照葉樹林こそ極相であり、里山の主木であるコナラやクヌギといった落葉広葉樹林を維持していくためには、搾取や伐採というストレスを加えて遷移をとめなければならないのである。

里山の放置による「荒れ」という点では、大和三山もその例外ではない。畝傍山の場合、明治以降、神武天皇陵や橿原神宮が鎮座しているため、その周辺は神山としての整備が行き届いていてうっそうとした照葉樹林をなし、現在、里山的な景観はその裾野や周辺にとどめられている。

ところが香久山の場合、平安遷都後まもなく「都は京に移ってからは百姓が意に任せて伐り損じるのでそれを禁止した」と『日本後記』に記され、近世なってからも村の入会地として利用されたようで、「山はすべて若木のしもとはらにて、年ふりたる木なんどはをさをさ見えず」という記述が本居宣長の『菅笠日記』に見られる。近年の香具山は、第1種風致地区(歴史的風土特別保存地区)として、国有林化や県の整備による「万葉の森」公園化が進められてきた。しかし、入会地としての利用がなくなったため落葉広葉樹の森でもなく、戦後見られた赤松林でもない。また、ヒノキやクスノキ、マテバシイなどが昭和50年代に大量に植樹され、本来の照葉樹の森とは違った方向に植生が乱れてる。そして、何より今深刻な問題が、竹林の拡大である。

その昔、河川の堤防補強に植えられたマダケや、食料不足を補うために移植されたモウソウチクが、香具山周辺の竹林をなしていた。入会地としての性格が強かった頃には、これらの竹林も食料として竹材として利用し、人の手によってコントロールされてきた。しかし、人の手がめっきり入らなくなった昨今、それらの竹林が急速な勢いで拡大し続け、周辺の放置された畑や果樹園、雑木林などものみこんでいく様が報告されているのである。そしてその触手は、今や国有林や万葉の森にも及んでいる。

 第1種風致地区として指定されているとはいえ、「竹林の拡大から歴史的景観を守ろう」という法的根拠はなく、民有地の所有者にも「農業者の不足と高齢化などで広がりすぎた竹林を管理することは困難」という声も多い。そんな中、大学・行政機関・市民団体が参加した「大和三山(香具山)景観・生態系保全検討会議」がスタートし、先の竹林整備にも人の手が入ることとなった。このプロジェクトの中核をなしている市民団体こそ、NPO法人奈良ネイチャーネットで、実はそこの理事長の谷口暁さんの案内で香具山を歩く機会を得、今回その活動を知ることとなった。里山保全の活動は、今や珍しくなくなってきたが、大和三山においてもこうした活動が動き始めていることは、奈良県内においても実はあまり知られていない。

春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山 (持統天皇 巻1-29

 この万葉集はあまりにも有名だが、持統天皇の見た風景を取り戻すために、今プロジェクトがスタートしたばかりである。さらに、香久山をはじめ大和三山は、平成19年に「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産」として世界文化遺産の暫定リストに登録されたが、歴史的景観の再生及び維持は、奈良県民一人ひとりの手に委ねられているのかもしれない。

 
 
   

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