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Guitar Case 90

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エチオピアの音楽職能民ラリベロッチ

 『スコラ坂本龍一音楽の学校(NHK-ETV)』で「アフリカの音楽B」が放送(21013.3.1.)された。その中で、歌うことを職業とする人たち“ラリベロッチ”の存在が紹介され、強く関心を持った。ラリベロッチとはエチオピア版“門付”のことで、穀物の収穫によって農家の家計が潤いはじめる時期に現れ、各戸の前で祝詞歌謡を歌って、住人から浄財の喜捨を誘い出したり、または食べ物を施してもらうことで生計を立てていく。
 歌にはある程度決まり文句があるが、歌い始める前にその家の取材をして、場面対応的に個人情報を歌詞に盛り込むことによって、聞き手に親近感を抱かせる。ここで大切なのは、音感の確かさ、声の大きさ・美しさが重要ではなく、いかに聞き手を満足させるか、高揚させるか、褒め称えていい気にさせるかということであると、番組の解説が加わる。
 一方、ラリベロッチに対する人々の反応は、親しみ、侮蔑、羞恥など様々な感情が伺える。門前で邪険にあしらわれることも度々だが、ラリベロッチ側といえば、たとえ人々に拒絶されても決してひるむことなく、絶妙なジョークによってその活動を正当化しつつ、人々の彼らに対するプラス・マイナスの対応をユーモラスに歌唱にとりこんでゆくわけだ。こうしたラリベロッチについての詳細は、映像人類学研究者川瀬慈による映像作品『ラリベロッチ−終わりなき祝福を生きる−』に詳しい。
 番組のなかで、「ラリベロッチの存在は音楽家の成立の起源を示唆する」と、塚田健一(広島市立大学教授)は説く。さらに、「音楽家というのは、才能があって、社会的に尊敬されていて、ステージ上で輝いていて、注目の的、というのが昨今の前提だが、一部の例外的な才能のある人だけが演ずるものという考え方は、根本から否定したい」と力説する。例えば、ヨーロッパなんかに多いストリートミュージシャンの場合、音楽をやって街に1つの音の空間を作り出し、気が向いた人たちがポトンとお金を落としていく“おひねり(投げ銭)”を貯めて、生活の糧の一部としている。それがさらに発展していくと、多くの聴衆を集め、ステージ上から楽しませ湧かせて入場料をいただくという形になるのだが、いずれもラリベロッチの延長線上に存在するのではないかと、塚田氏は説くわけである。

 私は、このラリベロッチの存在に、次のキーワードを拾い出してみた。

 @ 存在の「正当性」→ 祝詞をあげ神に基づいた芸能であることを根拠にカリスマ性を演出、侮蔑にも屈しない
 A パフォーマンスの「季節感」→ 収穫祭や新年のお祝いといった時期をねらって訪れる
 B 「場面対応的」→ 各戸の取材を行って即興的に歌に盛り込み、侮蔑もアドリブ、ジョークでかわす
 C 明確な「目的」→ 浄財の喜捨を誘い出すという一点

 彼らは@の根拠に信念を持ち、A〜Bの要素を経験値的に磨き上げ、聞き手の「満足感」「幸福感」「高揚感」を導き出して、Cの目的を達成させている。この方程式は、現在の音楽や芸能活動にも共通することであるにちがいない。私自身、バンドをやる端くれの一人として、いずれも意識になく欠如していることに、今気づかされた。

by くりんと