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武士の一分

 山田洋次監督の時代劇『たそがれ清兵衛』『隠し剣鬼の爪』に次ぐ3部作の最終章、そして、木村拓也主演という話題性も伴って、この正月是非見たかったのが映画『武士の一分』。原作は藤沢周平の『盲目剣谺返し』(『隠し剣秋風抄』文春文庫刊)によるものだが、原作には出てこないこの映画のタイトル「一分(いちぶん)」とは何という意味なのか?思わず辞書を引いてしまったが、「一身の面目。一人前の人間としての名誉。体面。」と見つけることができた。劇中では切る方にも切られるほうにも「一分」につながる行動が見られ、見ている側にもこの言葉が後々ボディブローのように効いてくる。

「テレビでは見られない木村拓也を見せる」演出というのが山田監督の言葉だが、私の周りでは賛否両論。この映画でキムタクは、洒落っけがあって子ども好きで、しかし妻を寝取られるというやや間の抜けた2.5枚目を演じている。彼演ずる三村新之丞の洒落っけは、妻の加世や付き人の徳平に「あほじゃのう」という口癖と共に向けられるが、妻を寝取られ刃傷沙汰に至った結末に、「知らなかった(あほな)方が幸せなのか、いやいやそうではないだろう」という言葉で結ばれるところが、ことさら意味深い。

山田監督の時代劇3部作が「父娘の愛」「男女の愛」「夫婦の愛」を順に描いているとはいえ、男を主軸とした展開になっている。『たそがれ清兵衛』では、命をかけた藩命を終え重傷を負いながらやっと帰宅したわが家に、まさかの朋江(役・宮沢りえ)が待つ。また、『武士の一分』では、妻を追い出したことを後悔する新之丞のもとに、使用人徳兵の計らいで妻加世(役・壇れい)が飯炊き女として舞い戻り、新之丞の飯を炊き始める。いずれも、世の男にとっては「これだ!」という夢のようなオチ(エンディング)であるが、ただ女性にはあまり面白くない展開かもしれない。「この映画は面白くなかった」という人の理由の1つは、こういったところにもあるかもしれない。

話は少し変わるが、先日テレビで『Shall We Dance?』のハリウッド・リメイク版を見た。周防監督の映画『Shall We ダンス?』で登場するダンス狂の青木富夫(役・竹中直人)やオバサンダンサーの高橋豊子(役・渡辺えり子)といったキャラクターはリメイク版でも再現され、全体のストーリーもほぼ原作に忠実である。しかし、オチが異なる。原作では、海外に旅立つ岸川舞(役・草刈民代)のサヨナラ・ダンスパーティーへの招待に、主演の杉山正平(役・役所広司)は拒み、迷い、遅刻しながら、結局ラスト・パートナーの座を手にする。しかしリメイク版では、(主演のリチャード・ギアは)デパートで働く妻のもとにまず現れ、その妻を伴ってサヨナラ・ダンスパーティー会場に到着する。そして最後は、妻と共に踊るシーンで幕を閉じる。このエンディングにこそハリウッド映画の真骨頂が表れている。

『武士の一分』でも、新之丞(キムタク)は妻加世を迎えに行かなければなるまい。そうでないとこのご時勢、世の女性の支持は得られない。ただ一方で、世の男性の支持は半減することだろう。もちろん私は、原作支持派!

by くりんと