Guitar Case 47

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「できる」と「みせる」はちがうということ

   

年末、久しぶりに「舞太鼓あすか組」の和太鼓コンサートに行ってきた。
彼らの和太鼓には、数年前からとりつかれ、何週間も前からわくわくしていた。
この日のステージは、まず、飛鳥大五郎氏指導による主催地の方々による和太鼓演奏が、前座として披露された。
そして、いよいよあすか組。
「爆竹」という曲で、幕開けだ。
申し訳ないが、(当たり前だが、)前座の方々と、この演奏の違いはなんだろう。
息と間? リズム? 1打1打の気合? 若々しき肉体美? 立ち姿の美しさ?
1曲目から、衝撃と感動を受ける。
1曲目だけで、入場料分の満足を得る。
私のお気に入りは、「鬼と天狗」という曲名の舞太鼓。
軽快な和太鼓のリズムに合わせ、能・狂言のエッセンスを取り入れた寸劇が舞われ、あすか組の真骨頂が垣間見られる。
また、最後に演じられる「波動」では、桶胴太鼓を担いでの即興が見られ、メンバーそれぞれの個性が垣間見られる楽しさが味わえた。

さて、昨今、和太鼓ブームで、各地に村おこし的な和太鼓グループが生まれている。
そうした和太鼓には、その土地の何かしらのイベントの折に、演奏されているのによく出くわす。
多くの場合、その演奏者たちは、練習したとおりに、最後まで間違いのないように、こわばった顔つきで演奏に徹し、
また、見ている方は、見知らぬ土地の(イベントの)お客として、失礼のないように、咳払い一つ遠慮がちに、静かに演奏を見守る。
演奏の終了と共に、両者は、それぞれの緊張から開放される。
村おこし的和太鼓を批判するつもりはなく、もし、身近にあれば、私も参加してみたいと思っている一人だが、ただ、観客側にまわった場合、先のような理由で、和太鼓をあまりかっこいいとは思ってこなかった。

話は飛ぶが、元体操選手の池谷幸雄さんが、あるTV番組で、「『できる』ということと『みせる』ということは違うんですよ」と言いながら、側転の指導をやっていた。
彼の登りつめた体操の世界は、難度の高い技を競って会得する努力もさることながら、まさに、見せて評価されるスポーツである。
これは、和太鼓の世界でもまったく同じことが言える。
私が、村おこし的な和太鼓グループの一部の演奏に、かっこよさや感動を覚えないのは、この違いかもしれない。
そして、あすか組は、「みせる」ことを前提としたレベルで、日々練習を積み重ねているプロの集団であるということ。
演劇であれ、ダンスであれ、ピアノであれ、ロックであれ、舞台に立つ、人前に立つということの基本。
「できる」と「みせる」はちがうのである。

2004年、私も、肝に銘じ精進いたします。

by くりんと