Guitar Case 45

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歌垣と万葉集

登筑波嶺為嬥歌会日作歌一首并短歌 (高橋虫麻呂)

鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて
未通女壮士
(をとめをとこ)の 行き集いかがう嬥歌(かがひ)
人妻に 吾も交らむ わが妻に 他
(ひと)も言(こと)問へ
この山を 領
(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは
めぐしもな見そ 言も咎
(とが)むな
                                                ( 『万葉集』第9巻・1759)

万葉集において、歌垣や嬥歌(歌をうたいながら跳ね踊る風習)に関わるものは、この一首が代表的だろう。
ただ、この場合も、男女が即興で、延々と歌を掛け合うという場面ではない。
むしろ、古代の、自由な性交渉を連想してしまいかねない、物議多い歌である。
さて、私は、歌垣こそ、『万葉集』の原型であると考えたい一人である。
その歌垣を探るにも、もはや日本では、古代の目的・形をとどめず、決まった型を伝承する芸能へと変質してしまっている。(→No.44参照)
そして、その元来の目的・形をとどめた歌垣を見るには、中国の少数民族を訪ねて海を渡らなければならない。

例えば、中国雲南省剣川石宝山では、ペー族の歌垣が、今も、春と秋に年2回行われている。
日本の、万葉の時代に行われていたであろう歌垣に近いものが、ここペー族に見られるようである。
そして、この石宝山の歌垣には、次の3種類の人たちが集まってくるらしい。

● 結婚相手を探しに来ている人
● 歌垣で歌を交わすのが目的の歌友だちに会いに来る人
● 自分の持ち歌やうたの技を見物人に聞かせたくて来る人

この@〜Bが、複雑に共存しながら、相乗効果をもって、@が達成されるのかもしれない。
また、最初は、だれもがよく耳にするフレーズ(うたの技)から始まり、次第に、即興の掛け合いへと転じていくことも多いようである。
これらとは別に、最近では、「賽歌台」なるものが立派に作られ、そこでは大音響で、のど自慢大会も行われているらしい。
まさに、歌垣の民族芸能への変質が、平行して進んでいる。

以上、【参考文献】『歌垣と神話をさかのぼる』(工藤隆著・新典社)より

さて、(ここからは私見として、)わが『万葉集』と中国少数民族ペー族の歌垣の共通点には、
○ 心奪われた人には、歌で想いを伝えるという、歌垣的アプローチがみられ、その歌にも、やはり「うたの技」を磨いておかなければならない。
○ 万葉集には、よく似たフレーズが何首にもわたって使われており、歌垣の「うたの技」を継承しあっていた節がある。
○ 歌の掛け合いとしては、男女の相聞歌が多くみられる。

<万葉集のうたの技の共有>
 2699 : 阿太人の梁打ち渡す瀬を速み心は思えど直に逢わぬかも
 2713 : 明日香川行く瀬を早み早けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ 
 3154 : いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む

 0085 : 君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ 
 0090 : 君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

 0784 : うつつにはさらにもえ言はず夢にだに妹が手本を卷き寝とし見ば
 0807 : うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
 2544 : うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし
 2850 : うつつには直には逢はず夢にだに逢ふと見えこそ我が恋ふらくに

<歌垣的な万葉集相聞歌>
 3101 : 紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ 
 3102 : たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか 
  
※海石榴市(つばいち・奈良県桜井市)では、実際に、歌垣が行われていたらしい。

逆に、歌垣から変質したと考えられる相違点としては、
× 歌垣の掛け合いには、一定のリズムとメロディーがあるが、万葉集では、五七調という言葉の調子だけが整えられている。
× 万葉集では、即興性は影を潜め、「うたの技」を高めた、文学的技を競うこととなる。

つまり、
@ 求婚を目的とした即興的な歌垣が、中国南部を中心にアジア各地へ伝播しながら、
A やがては、「うたの技」なるものが高められる。
B さらに、求婚の目的から離れて、「うたの技」そのものを競う場も生じてくる。
C 古代日本では、求愛の目的は残しつつも、五七五七七のリズムや文字化など、独自のルールが発達し、
D 「うたの技」を競う競技化や芸能化というよりは、『万葉集』などの編纂にみられるような文学的発展をとげることとなる。

以上、くりんと教授の特別講義でした。

by くりんと