Guitar Case 19

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芸術は、イメージと技術のバトルだ

ものづくりが好きな友人と、デザインをイメージするのが好きな私とで、第二の人生に向けて、二人でチームを組んでお互いの長所を活かし合いながら、ステンドグラスなどのクラフト工房をはじめようかという話になった。
この話を、日本画をやっている別の知人に紹介すると、「ものづくりは、"イメージ"が走りすぎて"技術"がなかなか追いついてこれないのが常ゆえ、二人でやるとなかなかうまくいかないだろう」と忠告してくれた。
芸術の難しさは、さしずめ、「"イメージ"とそれを具現化する"技術"との戦い」ということだろうか。
芸術家たちがよくやるグループ展などでも、やがて、個々のイメージの速度差が生れてきて、グループとしての"イメージ"を共有しにくくなるとも聞いた。

私自身、この知人からの助言を、音楽活動に置き換えて解釈することができた。
曲がイメージされ、やがて、その曲が演じられるには、およそ次の3つのパターンがあると考えられる。
@  曲をイメージし、自分一人で演じる。
A  曲をイメージし、グループで演じる。
B  曲をイメージし、第三者が演じる。

"イメージ"というのは、元来、突っ走る性格を持っている。
@の場合、己のイメージの限界あるいは技術の限界が、いずれブレーキとなる。
ただ、最近は、コンピューター(打ち込みなど)によって、"技術"の部分がかなりカバーされるようになった。
Aの場合、つくり手と演じ手のバランスがうまく取れている間はいいが、つくり手のイメージがなおも走り続け、それに演じ手側が応えきれなくなったり、あるいはグループで共有できなくなると、"解散"ということになる。
ビートルズをはじめ、多くのバンドが10年前後で解散しているのは、むしろ自然な成り行きかもしれないし、サザン・オールスターズなどは、充電期間という方法によって、うまく寿命を延ばしているかのように思う。
Bの場合、自分のイメージに近い演じ手を求めることになり、イメージどおりの演者に出会ったときは、つくり手冥利に尽きることだろう。
小室哲哉が、華原朋美や安室奈美恵ら小室ファミリーのプロデュースをやったり、自らgloveを結成したりしているのがその例で、つんくなどは今やモーニング娘を通しての創作活動の方が、きっとハマっているのだと思う。

私自身、イメージが突っ走るタイプで、技術は後からついてくるものと考えてきたし、これまでも何とかしてきたという自惚れがある。
それが短所でもあり長所でもあると心得ているのだが、仲間とやるバンドに関しては、その楽しさ・難しさを一喜一憂している次第である。

by くりんと