Guitar Case 15

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音楽は宗教?

何度も同じミュージシャンのライブに通う、いわゆるちょっとした”追っかけ”状態になった経験は、音楽好きの人なら、だれもがおもちだろう。
私も、岡林信康、河島英五、上々颱風、憂歌団、桂枝雀、桂南光、中村勘九郎など、ひところ足しげく追っかけた。(なぜか、女性がいないが!)
今思い返せば、こういうとき、その人のすべての曲(アルバム)を知りたいと思うし、その人の一言一句、ひいては生活スタイルまで目を耳を奪われてしまう。(っていうことなかったですか?)
こうした行為をとらえて、あたかも宗教に取り付かれた状態に似ている、と言う人がいる。
最近の新興宗教と言えば、あまり評判よろしくないから、例えが悪いかもしれないが、おもしろい見方だと思う。
ミュージシャンというアーティストは、こうした熱烈なファンによって支えられ、その才能を育んでいくのだろうし、逆にいえば、ファンが、ミュージシャンをつくり育てているのかもしれない。
最初は、その容姿やキャラクターによってファンが増えるが、そのうち彼ら(彼女ら)の発する音楽やメッセージが、そのファンを媒介として、広く大衆(時代)のものとなっていくというパターンも珍しくない。

そうした視点で言えば、わがエンヤトット一座、若さと容姿で10代・20代の女性をひきつける魅力なんてないし、いい音楽さえ奏でていれば、という松阪や佐々木のようなストレートも、今のところ持ち合わせていない。
主催者側の努力を除けば、これまで、メンバーのささやかな人間関係によって客席を埋めてきた。
もちろんその中には、私たちを永く、温かい目で支えてくれている人たちもいるのだが、なかなか信者の多い”宗教”にはなれないでいる。
私どもの素性を知る人たちにとっては、決して教祖に見間違うことはないのであろう。(特に、身内にその傾向が強い。)
もちろん私のカリスマ性の問題もあるが、そのカリスマ性もいい加減なもので、スポットライトやブラウン管(今や液晶か)によって、いくらでも偽造できるものと信じて疑わない。

ライブとは「非日常」のワン・シーンで、演者も聴衆も、「日常」から遊離したところでニュートラルな精神になり、お互いのエネルギーを受け止め合う。
そして、そのひと時の享楽を「日常」という明日からの活力に置換していくところにおいて、ライブは成り立つと考える。
そういう意味では、いっそのこと、だれも知らないところで演じたほうが、「非日常」を演出しやすいし、我々の演じ表現するところを色めがねなしで受け止めてくれるかもしれない。
しかし、私どもの見知らぬ土地に、そうそう受け皿があるわけではなく、やはり我々は、地域密着型のバンドとして、きちっと片足を置かなければならない。
それでも懲りずにライブに来てくれるのは、やはり縁者なのである。
決して、教祖になりたいわけではない。
音楽を宗教に見立てるつもりもない。
ただ、より多くの人たちと、できれば私たちの音楽で、ライブで、つながりをもちたいだけである。
ここはやっぱり、ストレート勝負だろうか?

by くりんと