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Guitar Case 98

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『かぐや姫の物語』に見る自然描写と歴史的背景

 「僕はずっと前から、ざっとラフに描いて、まだ一本の線にまとまっていないクロッキー風のドローイングが動いた時の面白さに注目していました。」と高畑勲監督が言うように、この映画の最大の特徴はこれまでのアニメにない線描の面白さにある。また、細部のディテールも意図的に甘くし描き残しのような余白も多い。一見手抜きのようにも写るが、ここに彩色しキャラクターを動かしていくとなると、これまでのアニメ制作の何倍もの労力と時間、制作費がかかるそうだ。高畑監督渾身のチャレンジである。

 今回、美術監督を務めたのは、『となりのトトロ』『おもひでぽろぽろ』『千と千尋の神隠し』など数々のジブリ作品に関わって来た男鹿和雄さんで、『もののけ姫』以来16年ぶりに背景画を担当したらしい。彩色は通常のポスターカラーではなく、透明水彩の絵の具で描かれているそうで、そういう手法もアニメではほとんど前例がないという。
高畑監督はが「この映画は虫と草の映画です」と断言するように、男鹿和雄の手を経て、里山の描写がいきいきと描かれ、そこを駆けまわる幼き日の姫が日本のハイジとなって実現している。四季の移りを敏感にとらえた植物や動物がすばらしく、フジやヤマザクラの花、アケビの実、キジやヤマセミ、とりわけ、たわわに実ったヤマブドウの実を子どもたちが食べるシーンが大好きだ。
 また、竹取の翁が材としての竹や食材の筍を採るシーンがある。この場合の竹林は、竹細工にも適した在来種のマダケがふさわしい。中国南部を原産とするモウソウチクは大きな筍を実らせるが、諸説はいろいろあれど『竹取物語』が成立したとされる10世紀半ばには、日本の野山において一般的に見られなかったと考えてよい。マダケの筍は5月〜6月初旬に採れ、モウソウチクの場合顔を出さないうちに掘り起こすのに対して、マダケのは地表に出ている部分を刈り取る。翁も姫もそうやって筍を採っているが、姫はその後イノシシの親子連れに遭遇する。イノシシは通常4月〜5月に出産するので、マダケの筍シーズンと重なるわけだ。映画ではアザミやツユクサの花も描かれており、ツユクサは少し早いような気もするがそういう地域があるのかもしれない。

 このように細部にわたっての整合性を求めてしまうのは、ファンタジー映画へのタブーであろうか。しかし、細部はともかく、大切なシーンでチェックを入れずにはおれない絵が2ヶ所がある。
 まず、竹取の翁の家だが、大きな茅葺きの家として描かれ、竹を使ったと大きな板間まである。一方、木地師の家は小屋掛け風のものが何棟かあって、そこで大家族が暮らしている。木地師は稼業の材を求めて各地の山を転々と移動する話が劇中でもなされており、こうした「山の民」の描かれ方は史実に近い。実は、戦前までこうした「山の民」は比較的多く、紀伊山地などにもそうした由縁の集落が残る。
 ならば、竹取の翁夫婦も「山の民」として描いて欲しかったというのが、私の1つ目の視点である。竹を扱い竹細工を生業にする人たちも木地師同様に「山の民」であり、竹製品の販売や補修しながら村々を周り歩く暮らしぶりは決して豊かではなく、茅葺きの板間つきの大きな家に定住はありえない。お伽話としては、田舎暮らしの老夫婦にふさわしい家かもしれないし、やがて帝から求婚されるほどの姫の生家としては、最低限の体裁を整える必要があったのかもしれない。『竹取物語』では、月から迎えに来た使者が翁に向かって「かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり」と罵しり、卑しい身分として設定されている。この映画で描かれた木地師の家に近いものであってもよかったのではないか。

 次に、5人の貴公子がそれぞれに示された難題に対して回答をもってくる。誰とも結婚したくなくかつての山暮らしに帰りたい一心の姫は、スケコマシ石作皇子が誠実で飾り気のない想いとして「一輪の野花」に託し、「田舎へ行こう」と誘う青臭い殺し文句に、あわやころりと落てしまいそうな瞬間がある。
 この時の飾り気のない野花として「レンゲソウ」が用いられている。レンゲソウは中国原産の帰化植物であり、いつ渡来したのかははっきりしない。文献では、貝原益軒の『大和本草』(1707年)に「京畿ノ小児コレヲレンゲバナト云、筑紫ニテホウザワハナト云」と出てくるが、緑肥や牛の飼料として用いられ、広く春の風物詩となるのは明治以降のようである。したがって、かぐや姫の時代には存在していない草花で、百歩譲って小野妹子が持ち帰ったとしても、当時は蓬莱の玉の枝の勝とも劣らない珍種であり、無垢な想いを表現した「一輪の野花」には全くふさわしくない。私なら、野辺に咲く清楚なササユリを描きたいところだがどうだろう。

 ファンタジー映画に、大の大人が水を差すまったく滑稽無糖な視点だが、日常的に野山を歩く人間にとって、どうしても違和感をぬぐいきれないので、ここではき出させていただいた。(合掌)

by くりんと