top  profile  member  cd  live guitar case

Guitar Case 96

Home > Guitar Case

姫の犯した罪と罰

 『竹取物語』の終盤、月から姫を迎えに来た使者の中の頭が、決死の覚悟の造麻呂に対してこう言う。
 「汝、をさなき人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、かた時のほどとて降ししを、そこらの年頃、そこらの金賜ひて、身をかへたるがごと成りにけり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く、能はぬことなり。はや出したてまつれ」と。
 つまり、「かぐや姫は、(月で)罪を犯したので翁のもと(地球)にやったが、その罪が解けたので迎えに来た」というわけだ。では、その「姫が犯した罪と罰」とは何か。その問いが、高畑勲監督渾身の自信作『かぐや姫の物語』の副題となっている。

 この映画に対しては賛否両論、答えが見えぬままという反応も多いようだが、私は取り付かれ二度観に行った。この先は種明かしになるので、これから観ようと思っている人は、観劇後お読み下さい。

 「月」世界は清浄無垢、争いなく欲情なく穢れのない楽園。地球上の人間界から見れば死の世界(あの世)とも言える。
 一方、「地球」は、穢れ多く、争いや貧富の差、不自由さなどにあふれ、仏教界でいう欲望・無智・存在・無常といった生きる「苦」に満ちたところ(この世)である。
 姫は、地球からやってきた天女が唄うわらべ唄を聴いているうちに、命あふれる地球の豊かさへの憧れが日に日に高まり、地球で鳥や獣のように生きてみたいと願うようになった。これが、「月」世界における「禁断の地に憧れた罪」である。

 まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
 まわって お日さん 連れてこい
 鳥 虫 けもの 草 木 花
 春 夏 秋 冬 呼んでこい      (※ 木地師の子どもたちが唄っていたわらべ唄)

 めぐれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ
 めぐって 心を 連れてゆけ
 鳥 虫 けもの 草 木 花
 人の情けを 育みて
 待つとし聞かば 今帰りこむ     (※ 姫が天女から聞き覚えたわらべ唄)

 姫は、「禁断の地に憧れた罪」で(穢れ多き)地球に下ろされる。ところが、竹取の夫婦に育てられ木地師の子どもたちと野山を駆け巡る暮らしのなかで、鳥や獣のように無垢に生きる喜びに包まれ た。 
 やがて、「高貴の姫君となって貴公子に見初められ、添い遂げることこそ姫君の幸せ」と信じる翁夫婦と共に都での生活が始まると、数々の「罰」が待ち受けていたのだ。
 ○ 高貴の姫君は、汗をかくことも笑うこともないと諭される
 ○ 山の連中とはもはや住む世界が違うと戒められ、(結局、山にかつての生活はなく)もはや帰るところはない
 ○ 5人からの求婚はすべて偽物、そして、都の生活、ここにいる私も全部偽物
 ○ いよいよ帝の求婚を受け、帝の言葉に背けないという人間界の掟をおもいしる

 皮肉にも姫の罪が許されたのは、帝に抱きすくめられ、我知らぬ間に発した言葉「もうここにはいたくない」 の瞬間。「月」世界は、8月15日迎えの使者を送ることを決めた。その後すぐさま、発した言葉の訂正と地球滞在の猶予を願うが、その決定は絶対である。

 使者の迎えをその瞬間まで拒んでいたが、天女から羽衣を肩にかけられると、すべての記憶や感情をリセットし自ら導かれていく。天女たちが奏でる軽やかな音楽と共に月に帰る途中、小さくなった青い地球を振り返った時、姫の目には涙が溢れていた。その涙こそ、かぐや姫が過ごした「地球」を肯定するものである。
 ○ 生きてる手応えがあれば(この世の苦は)何でもない、この地に生きる幸せと喜びを
 ○ 喜びや悲しみ、この地に生きるものはみな彩りに満ちている
 ○ 寒々しいときもあるが、そんな時はみんなじっと我慢をして春の巡りを待っている
  ○ 鳥 虫 けもの 草 木 花 人の情けを育みて 待つとし聞かば 今帰りこむ

 「この世は捨てたものじゃない、生きるに値するんだ」と高畑勲監督は、そしてジブリ映画は、かぐや姫の姿を通して声高に訴えている、と考えるのはどうだろう。

by くりんと